1906年の12月24日、つまりクリスマス・イヴに米国のマサチューセッツ州の大西洋を見渡せるブラント・ロックという場所から、重要な電波が放たれました。カナダ出身で、エジソンの研究所に在籍したことのある電気技師にして発明家、レジナルド・フエッセンデンが世界初のラジオというべき、実験放送をおこなったのです。
すでに、19世紀前半に英の科学者、マックスウェルが電磁波の存在を予言し、周波数にその名を残す独のヘルツが1886年に偶然からその電磁波を発見し、その電磁波の一種である「電波」を使えば、有線ではなく無線で物事を伝えられ、「これは事業になる!」と伊出身の発明家マルコーニが1895年に無線通信の実験に成功していました。新しい発明に無関心だった母国をあとにした彼は、船舶運行が盛んな英国に渡って「無線通信サービス」を事業化したのです。海の上は有線通信が難しいですからね。
電波に音声を乗せる
しかし、マルコーニが実用化していたのは、電波のオン・オフによる伝達、つまりモールス信号を使った通信で、送信するにも受信解読するにも専門の技師が必要でした。そのため、マルコーニは無線通信機器ではなくサービスに目をつけたわけです。電波は限られた専門家が必要な通信手段だったわけですが、1901年には英国からの無線をカナダ・ニューファンドランド島で受信する・・「大西洋横断無線通信」を成功させていました。
カナダから米国に渡ってエジソンの研究所で働いていたフェッセンデンは、自分ならマルコーニよりもっと良い無線通信手段を編み出せる、と考え、同時に「オン・オフによる信号だけでなく、もっとずっと低周波である『音』を電波にのせられないか」と考えたのです。「電波に音声を乗せることになんの実用性があるのか」という周囲の冷たい目線にもめげず、フェッセンデンは音声を乗せるために必要な高周波の電波を作り出す発電機を、米国のジェネラル・エレクトリック社やウェスティングハウス社の協力のもと作り出すのに成功します。そして、ついに「振幅変調」という技術を使い、音声を電波にのせることを可能にします。振幅変調は、英語でAmplitude Modulation、すなわち、これは現在でも使われている「AMラジオ」の方式です。
不特定多数に「放送」
・・・とここまでは、「電波の歴史」なのですが、フェッセンデンが行ったクリスマス・イヴの実験放送は、その後の音楽を大きく変えてしまう要素が詰まっていました。
フェッセンデンは、ヘンデルの有名なオペラ・アリア「オンブラ・マイ・フ」のレコード音声、そして、自分のヴァイオリン演奏と歌、最後に聖書の言葉を引用した結びの言葉を「放送」したのです。
彼は、大西洋の反対側、スコットランドの受信設備にいた研究仲間が聞いてくれるだろう、と考えていたのですが、まぎれもない不特定多数に向けた「放送」だったので、大西洋を航行中のユナイテッド・フルーツ社の貨物船も受信してしまったのです。果物相場の価格を知ろうと、モールス信号を受信している最中に、いきなり放送開始の合図が割り込み、その後音楽が聴こえてきたのですから、さぞかし無線技師は驚いたに違いありません。
ちなみにフェッセンデンのヴァイオリンと歌の腕前がどのようであったのかは伝わっていませんが、音声をとどけられる新しい放送に、「声」だけでなく、まず「音楽」を取り入れたのは、彼の重要な功績でした。
ラジオがオペラを放送
1920年にはペンシルヴェニア州ピッツバーグで世界初の商業放送が始まりました。米国のラジオ受信機の数は、この頃はわずか6万台に過ぎなかったものが、1922年には1000万台に増え、6000もの放送局が誕生しました。そして、シカゴの放送局が1921年にはすでに毎晩オペラを放送するようになり、米国では、オペラ劇場がシーズンオフになる夏の季節にも、気軽に、しかも何処にいてもオペラが聞けるようになったのです。アルゼンチンでは、ワーグナーの「パルジファル」を生中継する、ということが1920年にはすでに試みられていましたし、1922年には、英国も公共放送BBCが誕生しました。米国では、すぐに「広告収入中心の民放」がメインになっていったのに対し、英BBCは、国民から徴収する受信料で運営される放送局として、存在感を発揮してゆくのです。
無線を使ったラジオから、音楽が無料で(正確には受信料や広告費に転嫁されていますから音楽会やレコードと比較してものすごく安い値段・・かもしれません)、自由に聞けるようになると、「音楽」そのものが影響を受けて変化してゆきました。フェッセンデンのクリスマス・イヴの放送は、海を超えたラジオ放送の実験としても画期的でしたが、音楽の歴史にとっても、大変重要な転換点だったのです。
長くなったので、ラジオが変えたその後の音楽の歴史は、また別の回に譲りたいと思います。
コロナ禍に揺れた2020年、ラジオやテレビといった従来型の放送だけでなく、多くの人がインターネットを使って、広い意味での「放送」を楽しみました。また、近年では、好きな音楽をCDや再生デバイスに手元保存するのではなく、再生のたびにサーバーにインターネット経由でアクセスする、定額の「サブスクリプションサービス」も盛んになってきています。
このことが、またひょっとしたら、音楽の歴史を微妙に変えるのかもしれません。
本田聖嗣