クリスマス・イヴに大西洋を渡った「放送」は、音楽史を変えるきっかけとなった

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ラジオがオペラを放送

   1920年にはペンシルヴェニア州ピッツバーグで世界初の商業放送が始まりました。米国のラジオ受信機の数は、この頃はわずか6万台に過ぎなかったものが、1922年には1000万台に増え、6000もの放送局が誕生しました。そして、シカゴの放送局が1921年にはすでに毎晩オペラを放送するようになり、米国では、オペラ劇場がシーズンオフになる夏の季節にも、気軽に、しかも何処にいてもオペラが聞けるようになったのです。アルゼンチンでは、ワーグナーの「パルジファル」を生中継する、ということが1920年にはすでに試みられていましたし、1922年には、英国も公共放送BBCが誕生しました。米国では、すぐに「広告収入中心の民放」がメインになっていったのに対し、英BBCは、国民から徴収する受信料で運営される放送局として、存在感を発揮してゆくのです。

   無線を使ったラジオから、音楽が無料で(正確には受信料や広告費に転嫁されていますから音楽会やレコードと比較してものすごく安い値段・・かもしれません)、自由に聞けるようになると、「音楽」そのものが影響を受けて変化してゆきました。フェッセンデンのクリスマス・イヴの放送は、海を超えたラジオ放送の実験としても画期的でしたが、音楽の歴史にとっても、大変重要な転換点だったのです。

   長くなったので、ラジオが変えたその後の音楽の歴史は、また別の回に譲りたいと思います。

   コロナ禍に揺れた2020年、ラジオやテレビといった従来型の放送だけでなく、多くの人がインターネットを使って、広い意味での「放送」を楽しみました。また、近年では、好きな音楽をCDや再生デバイスに手元保存するのではなく、再生のたびにサーバーにインターネット経由でアクセスする、定額の「サブスクリプションサービス」も盛んになってきています。

   このことが、またひょっとしたら、音楽の歴史を微妙に変えるのかもしれません。

本田聖嗣

本田聖嗣プロフィール
私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミエ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラ マ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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