不特定多数に「放送」
・・・とここまでは、「電波の歴史」なのですが、フェッセンデンが行ったクリスマス・イヴの実験放送は、その後の音楽を大きく変えてしまう要素が詰まっていました。
フェッセンデンは、ヘンデルの有名なオペラ・アリア「オンブラ・マイ・フ」のレコード音声、そして、自分のヴァイオリン演奏と歌、最後に聖書の言葉を引用した結びの言葉を「放送」したのです。
彼は、大西洋の反対側、スコットランドの受信設備にいた研究仲間が聞いてくれるだろう、と考えていたのですが、まぎれもない不特定多数に向けた「放送」だったので、大西洋を航行中のユナイテッド・フルーツ社の貨物船も受信してしまったのです。果物相場の価格を知ろうと、モールス信号を受信している最中に、いきなり放送開始の合図が割り込み、その後音楽が聴こえてきたのですから、さぞかし無線技師は驚いたに違いありません。
ちなみにフェッセンデンのヴァイオリンと歌の腕前がどのようであったのかは伝わっていませんが、音声をとどけられる新しい放送に、「声」だけでなく、まず「音楽」を取り入れたのは、彼の重要な功績でした。