仲間に見えて、本当の仲間ではない
映画の中で一瞬、「おやっ」と思ったシーンがあった。ナチ支配下のフランスから中立国のスイスに誰を先に逃がすかでもめていたときのことだ。フランス人のレジスタンスグループは、負傷した連合軍兵士を優先させようとする。ジャンゴはロマの仲間たちも連れて行ってくれと頼む。なかなか認めてもらえない。そのときジャンゴが確か、レジスタンスのメンバーを見ながら、「よそ者!」と吐き捨てるように呟いた気がする。
負傷兵を逃走させるには、陽動作戦が必要だった。ナチス幹部が集まるパーティの会場でジャンゴが演奏し、彼らを足止めにして油断させる。そのスキに連合軍兵士を逃がすという作戦だ。
ところがロマの仲間の脱出までは、約束できないとレジスタンスメンバーは言う。結局、連合軍のために自分は使われるだけか、一緒に抵抗運動をしているように見えても、しょせんあいつらとは本当の仲間じゃない、そんな思いがこもっていたような気がした。
ナチスドイツに関する映画は、今年も多い。主人公はたいがいドイツ人、ユダヤ人、レジスタンスのフランス人などだ。ナチスによる迫害で、数十万人のロマも犠牲になったそうだが、悲しいかな流浪の少数民族。いつも「よそ者」、脇役か忘れ去られた存在だ。
映画のタイトルに「永遠の」という形容句が付いている。それはジャンゴが、ジャズ史のなかで不滅であると同時に、この映画を通して、ナチスによるロマの犠牲の記憶を永遠にとどめたということを意味しているのだろう――そんなふうに感じた。
■永遠のジャンゴ
■配給:ブロードメディア・スタジオ
■2017年11月25日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開