長女が18歳を迎えて成人し、選挙権を持ちました。
そこで大人の先輩として、投票できるようになったことを、どう思っているか尋ねてみると、「小学校で模擬投票したことあるから大丈夫だよ!」と明るい声が返ってきました。
いやいやいや! 聞きたいのは、そこじゃないですから。
「大人として、政治家を選ぶ責任についてどう思うの?」と問い直してみると、「うーん、そっか。確かに・・・」と考え込んでしまいました。
などとエラそうに問うてはみたものの、責任ってなかなか難しい概念だな、と思います。
スーパーでのトラブル、やがて責任者らしき人が現れると...。
先日、馴染みのスーパーでレジに並んでいたら、前方のお客さんがずいぶんご立腹な様子でした。聞くともなしにその場に並んでいると、嫌でも大きな声が耳に入ってきます。
客:「どうなってんだ、いい加減にしろよっ!」
店員:「申し訳ございません。まもなく責任者が参りますので・・・」
やがて責任者らしき人が現れると、「こちらの場所でお話を伺います。ご足労をおかけします」と、ムッツリした客を案内しながら、店の奥へと去っていきました。その後、応対していた店員さんがレジに戻り、目の前の光景は何事もなかったかのように普段通りです。
そんな一連の応対を見ていると、イザという時にお店で起きたことに対して責任をとってくれるから「責任者」って言うんだな、と妙に納得しました。
そして、お怒りの客を責任者へと引き継いだ後、店員さんがいつもとまったく変わらない様子でテキパキとレジをこなしていたのは、責任者がキッチリ対応してくれるだろう、という安心感の表われのようにも感じました。責任者、あっぱれです!
そんなふうにトラブルの場をおさめてくれる責任者ですが、ただ客に平謝りするだけなら、必ずしも責任者でなくてよいかもしれません。責任者であるからには、客に「納得いくように説明しろ!」と言われれば、店員では知りえない背景も含めて詳しく説明し、「金を返せ!」と言われれば、返すかどうか決める必要があります。
つまり、責任者として登場したということは、お怒りの客の要求に対して、店員さん以上の権限を持っているはずなのです。ということは、もし客が責任者の権限を越える範囲の要求をしてきたら、さらに大きな権限を持つ上の責任者へと引き継ぐことになるかもしれません。
そう考えると、権限と責任の範囲って、基本的には同じなんだろうなって思います。
会社が起こした不祥事の背景について、説明責任を果たすべきなのに。
ところが、先日テレビを観ていて、あれっ?と思うことがありました。
中古車販売大手のビッグモーターが起こした一連の不祥事について、記者会見を開いた時のことです。会社のオーナーでもある創業社長や新社長たち数名が並んで、メディアからの質問に答えていました。
しかし、いまひとつ説明がピンとこないというか、社長以下それぞれの人たちは質問に答えてはいるものの、事情をよくわかっていないかのような釈然としない印象を受けました。
その後の報道によると、不正行為やパワハラなどがエスカレートしたころに、会社運営の実質的な権限を振るっていたのは、創業社長の長男にあたる副社長だったのだとか。そう聞いて、妙に納得しました。
でも、記者会見の場に、副社長の姿は見えませんでした。その後も、雲隠れしたままです。会社運営の権限を持っていたのであれば、最も責任があり、会社が起こした不祥事の背景について説明責任を果たせるのは副社長のハズです。
なのに、肝心の副社長が一切姿を見せないなんて、ヘンじゃないですか。
選挙権を得た長女に政治家を選ぶ責任について語った後だっただけに、何とも言えない虚しさを覚えました。
ただ、よく思い返してみると、日ごろは威勢よく権限を振りかざすのに、イザとなると部下に責任を押しつけて姿を隠すエライ人って、会社の中でたくさん見てきた気がします。そういう人に限って、上司のご機嫌とりに長けてて、出世したりするんですよね。
そうやって権限だけは振るうのに、それとセットなはずの責任から逃れてもすまされる人って、そもそも責任者と言えるのでしょうか?
権限は有って、責任は無しって...そうか、だから世の中はそういう人のことを「無責任」と言うのか! と独り言ちながら、妙に納得しました。(川上敬太郎)