スーパーなどで買い物をしている時、店員さんから「いらっしゃいませ」と笑顔で声をかけられると、歓迎してもらっている気がします。
そして、「ああ、自分はいま、"お客様"なんだな」と実感します。
兼業主夫になってからというもの、日々買い物に出かけていますが、毎回"お客様"として扱っていただけるのは心地良いものです。
社員もまた大切な存在であり、社員が傷つかないよう守るのは会社の役目です。
レジ待ちしている時など、ヘルプの店員さんが新しいレジを開け、「お客様、こちらでございます」と案内してくれます。
そして、「大変お待たせいたしました」とうやうやしく頭をさげられてしまうと、大して待ってもいなかった私としては、「いえいえ、そんな...」と恐縮せずにはいられません。
ただ、そんな"お客様"扱いに慣れてしまうと、なかには本当にエラくなったように錯覚する人が出てきてしまいそうな懸念もあります。人間、チヤホヤされ続けると調子に乗ってしまうものです。
飲食店などで時々、店員さんを「おい!」などと呼び、命令口調で注文する妙にエラそうな態度の客を見て、不愉快になることがあったりします。そんな輩は"お客様"扱いに慣れてマヒしてしまい、自分を神様か何かと勘違いしているのかもしれません。
そういう時、エラそうな客にも笑顔で応対する店員さんたちを見て、たまにはキレてもいいのでは、と思ったりします。店員さんも、人間ですから。
すると、とあるバス会社が広告に、「お客様は神様ではありません」という抗議文を出したというではありませんか。
私も以前書いたコラム『お客様は、ホントに神様なのでしょうか?』の中でアレコレ考えてみましたが、行き着いたのはまさに同じ答えでした。そう、お客様は決して神様などではないのです。
しかし、反感を買うリスクを負ってまでそんなメッセージを掲げるのは、とても勇気がいります。それでも敢えて訴えなければならないほど、バス会社さんにとってカスハラ(customer harassment:お客様による嫌がらせ)の被害が切実だったのでしょう。
「些細なことで理不尽なクレームや過度な要求をする」
「非がないことを伝えても一方的に攻撃される」
そんなことの繰り返しに、危機感を覚えたのだと思います。会社にとってお客様は大切な存在。しかし、社員もまた大切な存在であり、社員が傷つかないよう守るのは会社の役目です。
カスハラした時点で、すでに「お客様」ではないのでは...よく考えてみると、ヘンな言葉です。
ただ、お客様としてはカスハラなどするつもりはなく、希望をわかってほしかっただけという場合もたしかにあります。また、他人には些細なことだと感じられても、本人にとってはとても重大だったのかもしれませんし、非があるかどうかという理屈ではなく、不満を抱いた感情に寄り添ってほしかったのかもしれません。
それなのにひたすら正論をぶつけられたら、「求めているのはそういうことじゃない!」と感情的になってしまうこともありそうです。お客様も、人間ですから。
一方、理不尽に見える要求にグッと耐えて解決策を見出そうと努める中で、新たな気づきが得られることもあったりします。それはそれで、とてもありがたいことです。そんな気づきを与えてくれる存在であることを考えると、やっぱりお客様は神様なのかもしれません...。
などと頭の中で、堂々巡りを続けていると、勇気あるバス会社さんがさらに酷いカスハラも受けていた、という追加情報が入ってきました。なんでも、その会社が運営しているタクシーを利用した客が、料金を払えないと怒鳴って杖を振り回したりしたのだとか。
それって暴力じゃないですか。もし社員がケガでもしたら大変です。さらに驚いたことに、結局、その客は料金を支払わず、会社は泣き寝入りすることになったそうな。サービスは利用しておいて暴力を振るい、挙句の果てに代金を払わないとなると、もう強盗と大差ありません。
「"お客様"がこんなカスハラをするなんて、やっぱり神様なんかじゃないよな」
と独り言ちた時、スッキリしない妙な違和感を覚えました。何が引っかかるのか...考えるうちに気づいたのは、前提の間違い。
社員を傷つけたり、強盗まがいのことをしたり。そんな狼藉を働く輩など、そもそも"お客様"じゃないのです。となると、カスハラって言葉自体が、根本的に矛盾しています。
だって、カスハラした時点で、すでに"お客様"ではないのですから。よく考えてみると、ヘンな言葉です。
「お客様は神様ではありません」という抗議文も、本当は客でもない狼藉者に対して、「あなたはお客様などではありません」と言いたかったんじゃないでしょうか。(川上敬太郎)