カスハラした時点で、すでに「お客様」ではないのでは...よく考えてみると、ヘンな言葉です。
ただ、お客様としてはカスハラなどするつもりはなく、希望をわかってほしかっただけという場合もたしかにあります。また、他人には些細なことだと感じられても、本人にとってはとても重大だったのかもしれませんし、非があるかどうかという理屈ではなく、不満を抱いた感情に寄り添ってほしかったのかもしれません。
それなのにひたすら正論をぶつけられたら、「求めているのはそういうことじゃない!」と感情的になってしまうこともありそうです。お客様も、人間ですから。
一方、理不尽に見える要求にグッと耐えて解決策を見出そうと努める中で、新たな気づきが得られることもあったりします。それはそれで、とてもありがたいことです。そんな気づきを与えてくれる存在であることを考えると、やっぱりお客様は神様なのかもしれません...。
などと頭の中で、堂々巡りを続けていると、勇気あるバス会社さんがさらに酷いカスハラも受けていた、という追加情報が入ってきました。なんでも、その会社が運営しているタクシーを利用した客が、料金を払えないと怒鳴って杖を振り回したりしたのだとか。
それって暴力じゃないですか。もし社員がケガでもしたら大変です。さらに驚いたことに、結局、その客は料金を支払わず、会社は泣き寝入りすることになったそうな。サービスは利用しておいて暴力を振るい、挙句の果てに代金を払わないとなると、もう強盗と大差ありません。
「"お客様"がこんなカスハラをするなんて、やっぱり神様なんかじゃないよな」
と独り言ちた時、スッキリしない妙な違和感を覚えました。何が引っかかるのか...考えるうちに気づいたのは、前提の間違い。
社員を傷つけたり、強盗まがいのことをしたり。そんな狼藉を働く輩など、そもそも"お客様"じゃないのです。となると、カスハラって言葉自体が、根本的に矛盾しています。
だって、カスハラした時点で、すでに"お客様"ではないのですから。よく考えてみると、ヘンな言葉です。
「お客様は神様ではありません」という抗議文も、本当は客でもない狼藉者に対して、「あなたはお客様などではありません」と言いたかったんじゃないでしょうか。(川上敬太郎)