子どもたちに学校の様子などを聞いていると、ノリが合うかどうかが友達関係を左右する大切な要素の一つになっていることがわかります。
学校は学習するために通う場所なので、必ずしもクラスメイトと無理につるむ必要はありません。くだらないことを話したり、ふざけあったりしているだけで何となく楽しいとか、ノリが合う友達とだけ一緒にいる限り楽しく過ごすことができます。
ただ、クラスを仕切る中心メンバーたちとノリが合わないと、教室の中で居づらい気持ちになる時はあるかもしれません。一歩間違えるとイジメの対象になってしまったりすることもあります。
いろんな独自ルールが職場特有のノリを生み出し、空気を支配しています
そんな居づらさは、社会に出てからも無縁ではありません。会社にはその職場ごとに特有のノリがあり、少なからず影響を受けることになります。
たとえば、お昼休みは動画でも見ながら一人でゆっくり過ごしたいと思っているのに、
「今日もみんなで、一緒にランチに行こう!」
というノリの職場であれば、ランチの誘いを無下に断るわけにはいきません。「いえ、私は一人でゆっくり過ごすのが好きなので遠慮します」などと言える人は、かなりの強者です。
なかには、飲み会の最後は必ずみんなで肩を組み、「合唱しよう!」なんてノリの会社もあります。社長がそんな雰囲気が大好きであれば逆らえません。ほかにも、社員同士あだ名で呼び合うとか、○○課長と必ず役職名をつけて呼ぶとか、いろんな独自ルールが職場特有のノリを生み出し、空気を支配しています。
もし、それらのノリが苦手だなぁと思っても、上手く合わせるのが大人というものです。本心は横に置き、社会に出て身につけた仕事用の笑顔を湛えながら、乗り切るのです。するといつの間にか慣れてしまって、逆に居心地がよくなっているなんてこともあります。そうなればしめたものです。
人の感情はデリケートです
ところが、自分は和を乱さぬようノリに合わせているつもりでも、職場が認定する基準に届いていないこともあります。
明らかに実現不可能な高すぎる目標を設定され、内心ゲンナリしつつも顔には出さずポーカーフェイスを貫いていたところ、「やる気ないの?」とツッコまれてしまうような職場では、目を輝かせて、「よし、がんばるぞ!」と前向きな発言をすることが求められます。
お客様からクレームを受けた後、気持ちを切り替え、笑顔で振る舞っているのに、「反省が足りない!」と叱責されてしまう職場では、敢えて落ち込んだ雰囲気を醸し出さなければ認めてもらえません。
職場の立ち居振る舞いとは難しいものです。一筋縄ではいきません。それでも、上手く乗り切るのがプロなのだと自分に言い聞かせ、頑張って職場のノリに合わせるのです。
とはいえ、やはり限度というものはあります。
人の感情はデリケートです。仕事をどれだけ頑張っても思うように成果が出せなかったり、ハードワークで心身が疲れてしまい、どうしても落ち込んでしまったりする時もあります。そこにパワハラでも受けようものなら、ストレス過多になり精神がコントロールできなくなることさえあります。
そんな状態に置かれている社員をスルーし、会社がノリに合わせることを求め続けてしまうと、事態はどんどん悪化してしまいかねません。ノリを強要される側は、さらに自分を追い込んで心身のバランスを崩していきます。
パワハラを受けていた40代男性が、自ら命を絶ってしまったという痛ましいニュースでは、会社から賞状ならぬ「症状」という紙を渡されていた、と報じられました。大きなフォントで「あーあって感じ」などと書かれた紙の文面から、独特のノリを感じます。
もし、ノリが合う社員たちの前でこの紙が読み上げられ、その場に笑いが起こるようなことがあれば・・・心身ともに疲れ切って本気で落ち込んでいる人にとっては、耐えられない場だったことでしょう。
限度を超えたノリの強要は、時に人の命さえ奪ってしまうことがあります。限度を知らない子どもたちのイジメが人の命を奪ってしまうことがありますが、大人たちが集う職場であっても、同じことは起きうるのです。
ノリは子どもから大人まで、時に支配的な影響力をもたらす存在です。それは和を保つうえで大切な要素になることもあるのでしょうが、人の命より大切なノリなんて、あるはずはないのです。
(川上敬太郎)