コロナ禍で変化した働き方、受け入れましょう!
考えてみると、Web会議って、コロナ禍で新しく生まれた技術ではありません。Zoomの創業は2011年ですし、専用回線を使ったテレビ会議のシステムは、インターネットが普及するよりずっと前からありました。
私が「『どこでもドア』があればなぁ」などと妄想していた時、実はすでに「どこでもドア」はできていたのです。
会社はこんな便利な夢の道具をなぜ、ずっと使ってこなかったのでしょう?
もし、コロナ禍前に戻ってお客様に、
「新商品のご案内をしたいのですが、Web会議でお時間いただいてもよろしいでしょうか?」
などとお願いすれば、
「直接足を運ばないのか?なんだWeb会議って。失礼じゃないか!」
と怒られてしまいそうですが、今から振り返ってみると、何がどう失礼なのかよくわかりません。
海外では、テレワークは「働くフリ」と断じて話題になった経営者がいましたが、やはり根拠は不明確。見えてくるのは、なんとなくキライとか、なんとなくダメといった曖昧な抵抗感ばかりです。
コロナ禍の発生により世界中がウイルス感染拡大防止に動き、Web会議は一気に広がりました。もしコロナ禍がなければ、いまだに曖昧な抵抗感が壁となって、Web会議は普及せず、「どこでもドア」はおあずけのままだったことでしょう。憎きコロナ禍ですが、そう考えると、なんとも複雑な気持ちになります。
...などと朝からボンヤリ考えていたら、微熱があると、次女が訴えてきました。いまのご時世、無理は禁物なので、学校を休ませないといけません。
そうなると、同じ中学に通う双子の兄も休むのがルールです。兄の方はすこぶる元気ですし、せめてWeb会議で授業を受けさせたいなぁと思うのですが...子供たちが通う学校ではまだそこまでの体制は追いついてないようです。残念。
せっかく便利な夢の道具が発明されても、使えないうちは結局、妄想を続けるしかないのです。
(川上敬太郎)