「白いキャンバスを会社の色に染める」というたとえにもギモンが...
ただ、かねてビジネスシーンでよく使われてきた表現で、似た視点を感じるものが脳裏に浮かびました。
それは、新卒採用の利点を説明するたとえで、「白いキャンバスを会社の色に染める」という表現です。
社会人としての経験がない新卒学生は、いわば白いキャンバスです。入社すると、その会社で得た経験が「色」となって、白いキャンバスを染めていきます。そのこと自体は必ずしも悪い意味ではなく、新卒学生の状態をありのままに表したたとえかもしれません。
しかしながら、
「すでに色のついた中途採用の社員は、その上から染め直そうとしても色が混ざってしまう。新卒は白いキャンバスだから、どんなにツラいことでも、理不尽なことでも、素直に受け入れやすい」
などと、洗脳しやすい人材、という意味合いでも使われてきたたとえです。その場合、使われている言葉が下品か否かの違いだけで、「生娘シャブづけ戦略」と相通じるものがあるように思います。
「生娘シャブづけ戦略」にも、ある意味での新卒者洗脳にも共通するのは、相手の自由意思を奪い「支配」するという考え方だと私は思います。それって、独裁者が国民の自由意思を奪おうとしたり、他国に軍隊を送り込んで武力で制圧したりするのと、根本的に同じ思想じゃないですか?
いかに巧みに支配するか、なんて発想では、マーケティングも新卒採用も邪悪な影が漂うことになってしまいます。吉牛が多くの顧客から支持されてきたのは、他では食べられない味を含め、「うまい、やすい、はやい」という魅力があるからですよ。
いかに支配するかという発想から抜け出し、相手の自由意思によって選ばれるための魅力をどう備えるか、という発想に転換しないと、マーケティングも新卒採用も、結局どこかでボロが出ることになります。世の中、なにごとにおいても選択肢の幅がどんどん広がってきていますから。人を支配するなんていう前時代的発想は、サッサと放棄した方がいいのです。
(川上敬太郎)