前回コラムで触れた、しつこい勧誘を断る方法に関する続きである。
さて、不可解な事件が起きると、犯罪心理学や専門家がマスコミに引っ張りだこになるが、たいていは「心の闇」の一言で片付けられ、その真相に迫った解説が聞けることはない。
一方で、「相手の言い分を聞き、なにごともよく話し合って解決を図りましょう」といったコメントを聞くと違和感を抱く。確かに傾聴の姿勢は重要だが、世の中の出来事はきれい事ばかりではない。
心と耳を閉ざして、シンプルに「無理です」を繰り返す
相手は百戦錬磨、その言い分をしっかり聞くことで、いつの間にか相手の土俵に上ってしまう恐れがあるからだ。言い分をしっかり聞いてから、あとで断ろうとしても、それは容易ではない。聞いてから断ることは難しいのである。
甘い罠(勧誘)を断るコツは、入り口で時間をかけずに、丁寧かつしっかりと断るべきだ。押し売りは玄関に入れずに断るのがベスト。「ごめんなさいね。私には無理です」「できません」ときっぱり断る。何を言われても心と耳を閉ざして、シンプルに「無理です。できません」を繰り返し続ければ、取り付く島はない。勧誘が無理だと相手に分かった段階で、災難のきっかけは通り過ぎて行く。
和歌山の小学生殺害や川崎の中学生殺人事件など、自分より力の弱い弱者を狙った犯行がクローズアップされている。しかし、殺人事件だけではなく、ひったくり事件などにも同じ構図がうかがえる。ひったくりの被害に遭うのも、圧倒的に高齢者や女性が多い。一般的に女性は男性に体力では太刀打ちできないし、高齢者は老化によって視力や聴力が衰え、身近なリスクに気づかないことも多いからである。
ところが最近、若い女性が「老婆」となって、危険に身をさらしているケースが目立っている。
たとえば、携帯電話で友人と話をしながら暗い夜道を歩いている女性――。友人とのおしゃべりで一時的に恐怖心を紛らわしているのかもしれないが、通話に気をとられ、結果的に周囲への警戒がおろそかになっている。これでは、視覚も聴覚も「老婆並み」と言え、自ら暴漢を招き入れているようなものだ。
イヤホンで大音量の音楽を聴きながら、一人歩きをしている場合も同じである。背後から迫る自転車やバイクの音にも気づかないだろう。
これまでも述べてきたように、トラブルを未然に防ぐには、視覚や聴覚などの「五感」を広げておくことが重要だが、その原則が守られていない。
危機管理意識の欠如
かつて日本は、世界一安全な国といわれていた。しかし、それは必ずしも警察権力が強大だったからとは言い切れない。むしろ、一般市民が地域ぐるみで防災・防犯に取り組んでいたからだろう。
ところが、その慣行も崩れてしまったようだ。
「なんだ、あれは?」
私の実家は広島県の兼業農家である。イノシシが人里に出没するようになって久しいが、先日、家から数十メートルしか離れていない耕作放棄地にも姿をあらわした。えさの少ない冬場にミミズを狙ったようだが、鼻先で掘り起こされた田んぼの石垣が崩れた。
夜行性のイノシシ――。牡丹鍋は美味でも、牙は鋭利でケガ人が後を絶たない。夜の一人歩きは極めて危険である。
ある日、そんなことを思いながら愛犬と散歩していると、気配がして遠くから青白い光が徐々に近づいてきた。
「イノシシか?」
ゴクリと唾を飲み込んだ。緊張から寒さも忘れて、その場に立ち尽くした。
数秒後、4、5メートル先に近づいた青白い光の正体がわかった。なんと、それはスマートフォンの画面を見ながら歩いている少女だった。高校生ぐらいだったが、ケータイ画面の光が青白く顔を照らし、まるで季節はずれの幽霊のようだ。
彼女は私のことに気づいているはずだが、まったく意に介していない。ネット空間に遊び、リアルな世界には興味がないように見えた。私に挨拶するわけでもなく、そのまま青白い光は遠ざかっていった。
幽霊の正体がわかった後も、薄気味悪さは消えなかった。イノシシへの恐怖ではない。イノシシの牙は危険ではあるが、得体は知れている。私の目の前を横切った少女こそ、得体がしれない存在である。少女の危機管理に対する感覚が不気味なのである。そして、こうした無防備な少女が、えてして犯罪に巻き込まれてしまう。
いまや、都会であるか田舎であるかに関係なく、地域社会のセーフティ・ネットは破れかけているようだ。
【ポイント】五感を鈍らせる携帯電話やスマートフォンの屋外での使用は、犯人や事故を招く(導いている)行為だと知るべきである。(援川聡)