危機管理意識の欠如
かつて日本は、世界一安全な国といわれていた。しかし、それは必ずしも警察権力が強大だったからとは言い切れない。むしろ、一般市民が地域ぐるみで防災・防犯に取り組んでいたからだろう。
ところが、その慣行も崩れてしまったようだ。
「なんだ、あれは?」
私の実家は広島県の兼業農家である。イノシシが人里に出没するようになって久しいが、先日、家から数十メートルしか離れていない耕作放棄地にも姿をあらわした。えさの少ない冬場にミミズを狙ったようだが、鼻先で掘り起こされた田んぼの石垣が崩れた。
夜行性のイノシシ――。牡丹鍋は美味でも、牙は鋭利でケガ人が後を絶たない。夜の一人歩きは極めて危険である。
ある日、そんなことを思いながら愛犬と散歩していると、気配がして遠くから青白い光が徐々に近づいてきた。
「イノシシか?」
ゴクリと唾を飲み込んだ。緊張から寒さも忘れて、その場に立ち尽くした。
数秒後、4、5メートル先に近づいた青白い光の正体がわかった。なんと、それはスマートフォンの画面を見ながら歩いている少女だった。高校生ぐらいだったが、ケータイ画面の光が青白く顔を照らし、まるで季節はずれの幽霊のようだ。
彼女は私のことに気づいているはずだが、まったく意に介していない。ネット空間に遊び、リアルな世界には興味がないように見えた。私に挨拶するわけでもなく、そのまま青白い光は遠ざかっていった。
幽霊の正体がわかった後も、薄気味悪さは消えなかった。イノシシへの恐怖ではない。イノシシの牙は危険ではあるが、得体は知れている。私の目の前を横切った少女こそ、得体がしれない存在である。少女の危機管理に対する感覚が不気味なのである。そして、こうした無防備な少女が、えてして犯罪に巻き込まれてしまう。
いまや、都会であるか田舎であるかに関係なく、地域社会のセーフティ・ネットは破れかけているようだ。
【ポイント】五感を鈍らせる携帯電話やスマートフォンの屋外での使用は、犯人や事故を招く(導いている)行為だと知るべきである。(援川聡)