「あなたでは話にならない。店長を呼びなさい!」。中年女性のヒステリックな声で店内の空気は凍りつく。店員に変わって対応する店長も、なかなか納得してもらえない。
「話にならない。社長を出してちょうだい!」。まさか、クレームの現場で社長を出すわけにもいかないし、本社に電話してもおそらくラチは開かない。現場責任者の店長は右往左往し精神的に疲弊して追い詰められる。しかし、この段階で相手をクレーマー扱いするわけにもいかなければ、企業がブラックなわけでもない。
企業側は専守防衛
このように企業の現場での悩みは尽きないが、検証すると、普通の人が突如激昂してモンスターに変身するケースが多く存在していることが分かってくる。
世の中が便利になればなるほど、企業がサービスを向上させればさせるほど、モンスターは増殖する。なぜなら、いくらサービスがよくなっても、それに伴って消費者の期待値が上がるからだ。皮肉なことに、便利な社会は人間の「怒りの沸点」を下げているわけだ。
「購入してから、ま・だ・10年なのに、スイッチが入らなくなった。保証期間は2年? 大金をはたいて買ったんだから、そちらの責任でなんとかしろ! だいたい、こんなに寿命が短い商品を売って恥ずかしくないのか?」
保証期間が過ぎた電気製品を無料で修理させようと、メーカーに食ってかかる消費者は多い。
「おたくのコンタクトレンズを使っていたら、目がかゆくなった。眼科で診てもらったら、結膜炎だと言われた。どうしてくれる? 治療費は払ってくれるんだろうな!」
最近、使い捨てタイプのコンタクトレンズをめぐるトラブルが急増している。その多くは、使用期限を守らず再装着したために起きているといわれるが、悪びれる様子もなくこう言い放つユーザーは後を絶たない。企業側にはコンプライアンス(法令遵守)が義務づけられているが、利用者のルール違反は棚上げ状態だ。
以前、顧客満足度ナンバーワンをCMでアピールしている企業で、クレーム担当者にこう尋ねたことがある。
「御社では、クレームなんてほとんどないでしょう」。担当者は大きくかぶりを振る。
「とんでもない。ハードクレームは絶対になくなりませんよ」
現在、クレーム対応の担当者が置かれている状況はことのほか厳しい。なぜなら、攻撃できるのはクレーマーで、企業側は専守防衛だからだ。
ほかの一般消費者と一緒に「包囲網」
一般にマスコミの論調や世論は、企業や行政機関、病院、学校などの「組織」に対してアゲインストであり、ひとたび問題が生じればいっせいにバッシングに走る傾向が強い。組織は社会性や公共性を意識している分、弱腰にならざるを得ない。
その反面、「個人」はモンスターと呼べる輩であっても、消費者、患者、生徒という「弱者」のレッテルが貼られている。
そこにインターネットの登場である。インターネットによって、個人は強力な情報発信の手段を手に入れ、以前とは比べものにならない圧力を組織にかけることができるようになった。いわば、「腕力の強い弱者」の誕生である。
かつて、クレームの持ち込み先は企業が設けたサポートセンターの窓口ぐらいしかなかったが、いまは苦情をメールで送りつけたり、携帯電話で撮影した写真や動画をネット上に公開したりすることができる。
なかには、自分のホームページで企業や団体の批判記事を書き立て、苦情メールを送るように閲覧者を煽動するという手の凝ったことをする者もいる。担当する部署では毎日、同じクレームを何件も処理しなくてはならない。
「当社のホームページを細かくチェックし、重箱の隅をつつくような質問をしてくる。嫌がらせとしか思えない」
企業や団体は、その社会的責任として利害関係者に対する説明責任があり、その一環としてホームページなどでさまざまな情報を公開している。一方、個人情報へのアクセスは個人情報保護の見地から制限されている。個人と企業には、明らかに「情報格差」が存在する。
いずれにしても個人は、組織に「直接対決」を挑まなくても、ほかの一般消費者と一緒に「包囲網」を敷き、「消費者全体への裏切り行為だ!」などと、絶対多数を背景に攻め込めるわけだ。(援川聡)