その目は完全にイってしまっていた
昨年、こんなことがあった。午前11時の品川駅(東京)。すでにラッシュアワーは過ぎていたが、この日は人身事故の影響でホームは大変な人混みだった。
人が押し合いへしあいするなかで、私は隣にいた若い男性と軽く足が絡んだ。そのとき、その男性の舌打ちが耳元で聞こえた。
「チッ!」
最近はだいぶ枯れてきたが、まだまだ人間の器が小さい私は、ムッとしてその男性を睨みつけた。
『こんな状況だから、しかたがないじゃないか』という思いだった。
しかし次の瞬間、男性の目を見て『しまった!』と後悔した。この男性は、スーツ姿のサラリーマン風だったが、その目は完全にイってしまっていた。薬物中毒ではないだろうが、尋常ならざる殺気を漂わせていたのである。
私は危険を察知して、すぐに「すんません」と詫びた。こんなとき、関西弁は便利である。かしこまって「申し訳ありません」とは言いにくいが、関西弁なら軽い調子で言葉が口から出てくる。
殺傷事件になる可能性は低かったと思うが、ひとつ間違えば、逆恨みを買ったり、逆ギレされたりして、ひと悶着あったかもしれない。
日頃はルールをしっかり守り、規範的に行動する日本人も、アクシデントに遭遇すると、意外に脆い。私は、それがとても怖い。
ビジネスの世界では、仕事を通じて商談相手と仲良くなることがあるかもしれない。しかし、警察官やクレーム担当者の場合、そうはいかない。警察官が犯罪者を好きになることはないし、クレーム担当者がクレーマーに愛情を感じるものでもない。
「今日はどんなクレームが来ているのか、楽しみだな」
こんなことを言う人は、まずいない。無理難題を突きつけ、いきなり激怒する相手にも丁寧に事情を説明し、なんとか理解してもらおうと努力を重ねるが、納得させるのは容易ではない。