先の見えない不安な時代の到来により、人が抱える「心の闇」は深まるばかりです。
便利な世の中になればなるほど不満を感じる人が増えるという図式は、現代社会の歪みといえるでしょう。満足の期待値が上がり、その一方で怒りの「沸点」はどんどん下がってきます。待てない、満足できない、「便利で豊かな時代」は「我慢できない、やさしさの足りない時代」でもあるのです。
事件として発覚するのは氷山の一角
たとえば、凄惨な殺人事件が頻発していますが、その多くは「普通の人」による犯行によるものです。一見、なんの不自由もない家庭環境にありながら、妹や夫を殺してバラバラするという猟奇的な事件が相次ぎ、通り魔的な「無差別殺傷事件」も後を絶ちません。犯行は、いずれも、直接的な動機は曖昧なものばかりです。
自分のイライラをわが子にぶつける児童虐待。その数は年々増え続け、児童相談所に寄せられる相談件数は年間5万件を突破した。表面化していない事案を考えると、ぞっとする数字です。
ドメスティック・バイオレンス(配偶者による暴力)やストーカー行為も、事件として発覚するのは氷山の一角でしかありません。
また、うつ病はいまや国民病と言われるほど蔓延しています。知り合いの医師は「精神の病で長期に入院する患者はほぼ横ばいだが、短期の通院患者が劇的に増えている」だという。また、自殺者は14年連続で3万人を超えていたが、ここ数年は3万人を下回るものの、依然高い数値が続いている。
このような状況に陥った背景には、「目に見えない不安」の広がりがあり、言い知れぬ不安感が、さまざまなトラブルの誘因のひとつであることは、だれも否定できないでしょう。
「体感治安」が悪くなっているのは、ちょっとしたきっかけで惨事となりかねない「揉めごと」が社会にあふれているからです。
かつて凶悪犯罪は、たいていヤクザの抗争や三角関係のもつれ、あるいは金銭トラブルが原因でしたが、今は元警察官の私でさえ驚くような些細な諍(いさか)いが引き金になっています。殺人事件の半数以上が家族や親族、あるいはご近所付き合いをする親しい間柄で起きていることからも、便利な社会に比例して「心の闇が拡大」していることは察しがつきます。