前回コラムで触れたように、2001年秋、転職した大手流通業の会社が破綻してしまいました。見よう見まねで、接客用語を唱和しながらようやくクレーム対応に自信を持ち始めたころでした。
それは、出張先の携帯電話に突然かかってきた事業部長の上ずった声から始まりました。「とにかくすぐに事務所に帰ってきて」
声のトーンから事の重大さを思いながら「何でこんなことになるんや」と、わが身の運の悪さを呪いました。
「トラブル対応力」へ寄せられる周囲の期待
それは想像を絶する混乱の始まりでした。一番の問題は、押し寄せる債権者への対応です。それまで取引先や出資者などとして強い結びつきがある関係者ですから、裏切られた感は想像を絶するものがあります。まさに「倍返し」、「憎さ百倍」。すさまじい勢いで押し掛けてきます。「金を払ってもらわないと、首をくくらなければならない」と必死の形相で迫って来ます。
「俺は破綻と何の関係もないのに」と内心ぼやいても、「トラブル対応は援川の出番だ」とばかりに周囲の期待値は高まっていきます。こうした依存性傾向は、トラブルの無い日常において「売り上げアップに貢献しない」と、私に冷ややかな目線を送っていた幹部ほど強いのは皮肉なことです。
内心不満をためながら、それらを一つひとつ対応処理して行ったのです。
経営破たんに伴う債権者の対応は、その後のクレーム対応力にもプラスになったのかもしれませんが、当時の混乱を思い出すと二度と経験したくはありません。
1年後の2002年秋、債務の処理が一段落し経営再建の道筋が示された時点で独立することになりました。
この時、私を援けたのは何か。様々な要因がありますが、大きかったのは孤立していなかったこと、相談すれば支援してくれる「縁」があったのです。