土壇場で追いつめられたとき、人には強いストレスが掛かります。このとき、ストレスに打ち勝って仕事を成し遂げるためには、どうすればよいのでしょうか。
ヒト、カネ、時間の制約が多い状況では、「××だからできるわけがない」という言い訳が頭に浮かびがちですが、あえて「いろいろな制約を自己責任で乗り越える」と腹をくくった方が、よい結果となることもあるものです。
「能動性」を発揮できればストレスは減る
昔ばなしに「浦島太郎」という物語があります。竜宮城に行った浦島太郎は、乙姫様に「開けてはならない」といわれて玉手箱をもらい、地上に戻りましたが、禁を破って開けてしまったために老人になってしまいました。
この話のように、「開けてはならない」と言われると開けたくなるのが人の心理というものです。やってはいけないといわれると、人は無性にそれをしたくなるのです。
「してはいけない」という禁止は、自分の意思とは関係のないところで生じたものですが、生きている私たちは、何とか自分の意思で行動したいという「能動性」の欲求を持っています。その欲求を果たすために、禁を破ってしまうわけです。
浦島太郎の場合は大変な結果になってしまったわけですが、玉手箱を開ける瞬間にはワクワクドキドキしていたに違いありません。人は能動性を発揮できるときに、ストレスから解放されるのです。
これを日々の仕事に当てはめて考えてみましょう。不景気が続き、制約が多い中で仕事をしなければならない機会が増えると、仕事に対する「やらされ感」が高まってしまいます。
やらされ感をそのままにしておくと、強いストレスで疲弊してしまいます。このような時代だからこそ、自分の「能動性」を意識することが重要です。
上司に「やれ」と言われたからやっている仕事であっても、仕事をしているのは自分であることに変わりがありません。上司に逆らうのをやめて従っているのは、他でもない自分なのです。自分の行動は、最後には自分自身が決めていることに気づく必要があります。
「自己責任」で能動性の余地が見えてくる
このようなやらされ感に満ちた状況を打破するには、自分の考え方を、
「いろんな制約はあるが、自分の責任で、できる限り頑張ってみよう」
と切り替えるしか方法はありません。
考え方を「自己責任」に切り替えると、制約の中でできることの可能性が見えてきます。それを自ら発見し自分自身で選択することによって、「能動性」が発揮されてきます。こうなればしめたもの。徐々にストレスは軽減されていきます。
この考え方を、松崎教授はじめ私たちは「経験的な楽観性」と呼んでいます。
一方で、「自分はムリだと思ったが、上司がやれと言ったから仕方なくやる」「自分はやってもムダだと思うけど、周りがやるから仕方なくやる」といったスタンスを自分で認めてしまうことは、自分の裁量権を自ら放棄することになるのです。
これを放置しておくと、仕事のやらされ感だけが日に日にまして、仕事が嫌になるとともに、上司や周囲への不平・不満、さらには恨みつらみにまで発展していきます。
もちろん、明らかにムリな仕事でも引き受けろと言っているわけではなく、自分の意思とは無関係に土壇場に追い込まれてしまったときの切り抜け方ですので、お間違えのないように。通常は、時間的な余裕を持って計画的に仕事をする方法が、ストレスを軽減できるのは言うまでもありません。
結果は、自分だけではコントロールできません。できる事を全てやったら、あとは流れに任せていけばよいのです。自分でできることを、ひとつひとつ積み重ねる事が大事です。