当時の真相語る 元中日コーチ中村紀洋氏、1軍→2軍コーチ「配置転換」の理由は何だったのか?

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   プロ野球近鉄、中日、楽天などでプレーした中村紀洋氏(50)が、2024年7月11日に公開されたデーブ大久保氏(57)のユーチューブに出演し、打撃コーチを務めていた中日時代を振り返った。

  • 画像はイメージ
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  • 中村氏と石橋貴明氏の2ショット(中村氏のインスタグラムより)
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  • DeNAのユニフォーム姿(中村氏のインスタグラムより)
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  • DeNAイベントにて(中村氏のインスタグラムより)
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  • 中日時代の中村氏(中村氏のインスタグラムより)
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「今でも分からないです。その理由も分からないんで僕」

   中村氏は大阪府立渋谷高校から91年ドラフト会議で近鉄に4位指名され入団。近鉄時代はチームの主力として活躍し、本塁打王、打点王などのタイトルを獲得した。

   05年には大リーグに挑戦し、ロサンゼルス・ドジャースでプレーするも1年で帰国。その後、オリックス、中日、楽天、DeNAと渡り歩き、14年シーズンを最後に現役引退した。

   引退後は高校の非常勤コーチを経て、22年に中日の1軍打撃コーチに就任した。ところが開幕から2か月後の5月に、2軍打撃コーチに配置転換。インターネット上では、立浪和義監督(54)の確執などさまざまな憶測が飛び交った。

   MCを務めた大久保氏が1軍から2軍コーチへの配置転換について「あれは何だったの?ノリが思うには」と問いかけると、中村氏は「今でも分からないです。その理由も分からないんで僕」と率直に答えた。

「昭和(の時代)みたいに『あれやれ、これやれ』は言えない時代」

   そして、当時の指導法、選手への接し方などに言及し、楽天で監督を務めた経験のある大久保氏と意見を交わした。

   中村氏が「結果を出してほしいだけなので、いろいろなものにチャレンジしてほしいなと思ったんですが、なんか制限がかかるというか」と切り出すと、大久保氏は「よくしようとしたらダメなんだよ。難しいんだよ。黙ってみててあげるという時代になって、よくしてあげようと思ってするアドバイスはいらない時代になった」との見解を示した。

   さらに、中村氏は「教え方が難しいですね」とし、こう続けた。

「昭和(の時代)みたいに『あれやれ、これやれ』は言えない時代。ほめて指導するという。頭ごなしには絶対に言えない。アウトです。くすぶっている選手を1軍の舞台にあげてあげないとダメということしか考えていなかった。ちゃんと長くプロの世界でやれる土台作りという意味で取り組んでいた」

   波留敏夫コーチと入れ替わって2軍打撃コーチに配置転換となった中村氏は、その後、1軍コーチに戻ることなく23年シーズン限りで退団した。

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