生後8か月で「歯茎音が出た」、「両唇吸着音を発音している」――このような「音声学」の観点でつづられた育児日記に、インターネット上で大きな注目が集まっている。
日記は、書籍「音声学者、娘とことばの不思議に飛び込む」の冒頭に掲載されている。音声学の入門書で、著者の育児経験を基に執筆された。
J-CASTニュースは2022年6月7日、著者の言語学者・川原繁人さんに執筆の背景を取材した。
育児の中で音声学的な感動に出くわす
川原さんによれば音声学は、人間が発する「音声」を研究の対象とする。言語学に含まれる学問の一種で、人々がどのように舌や唇を動かして声を発するのか、その声がどのように聞き手に届くのか、聞き手はどのようにその音を解釈するのかを研究するのだという。
話題となった書籍の育児日記には、子供の成長を喜ぶと同時に覚える寂しさも専門的な観点から記録している。本文中には同じく言語学者として活躍する妻も登場し、「(次女の)硬口蓋化が弱くなってきちゃったねー」といった、ユニークな会話も繰り広げられる。
同書は朝日出版社のウェブマガジン「あさひてらす」での連載をまとめたものだ。連載のきっかけは新型コロナウイルス禍だった。2020年の春、長女の通う幼稚園は休園を余儀なくされ、自分自身もテレワークで仕事をすることになった。娘達と過ごす時間が増えた川原さんは、前々からつけていた次女の育児日記を、さらに詳しく書くようになっていき、その中で数々の音声学的な感動に出くわした。
次女に感動した例のひとつは、冒頭の日記で紹介した「両唇吸着音」で、これは両唇を使って息を吸い込む音なのだという。この音はアフリカの言語のみで見られる音で、多くの日本人の大人にはなじみがなく習得するのは難しい。夫婦の会話に登場することもなかった。しかし赤ちゃんにはできた。川原さんは、「こんなすごいことが起きているんだ!」と感動し、思わず「動画に取らなきゃ」とカメラを手にした。授業で実例として紹介するためだ。
当時、川原さんが教鞭をとる慶應大学ではリモート授業が導入されていた。前々から難しい学問をどのように生徒に紹介するべきか悩んでいた川原さんは、コロナ禍が始まってから特に、身近な現象から音声学の面白さを伝えていきたいと考えていた。
「オンラインになると学生の顔が見えません。対面授業よりも分かり易くする必要があり、多くの人々に親しみのある物事から説明を始めたいという思いがありました。自分にとって一番身近な日常のひとつは子育てでした。自分が実際に体験したものから音声学を語ったらどこまで説明できるのか、挑戦してみたい気持ちがありました」