清須会議の決定を無視
<信孝にも原因有り?>
そんな中で、織田家の三男の信孝が増長していくという事件が起きます。
まず信孝は美濃の国を与えられたのですが、その隣国の、兄・信雄が治めている尾張の国との境目について、かなり不満だったようです。そして、清須会議で決められた領地の国境を不服として、木曽川で勝手に大河切りをしてしまいました。最終的には柴田勝家・秀吉らによって信孝の要求は通らなかったのですが、この件で信雄と信孝兄弟はさらに対立し合う仲になってしまいます。
まだまだ信孝の暴走は止まらず、今度は三法師を自分の岐阜城に置いているのをいいことに政権を主導していこうとしました。信長の「天下布武」のように「弌剣平天下」という印判を使い出し、あたかも天下人のように振る舞っていったのです。
これに対して、やはり秀吉はいい感情を持ちませんでした。そもそも合議制で決めていこうと清須会議で決まったのに、それを無下にしているわけですから当たり前ですね。
とにかく信孝は、清須会議で決められたことを全く無視したわけです。
さらに信孝は、秀吉に対抗するために、織田家重臣筆頭で秀吉と肩を並べる軍事力を持っている勝家にも接近しました。このことで、信長の葬式の件でもともと揉めていた秀吉と勝家の対立も表立ったものになっていってしまいます。
秀吉は急遽仕切り直しのために、やはり名代を立てることにします。そこで白羽の矢が立ったのは当然、信雄だったわけです。これで完全に秀吉と信雄、池田恒興、丹羽長秀という秀吉側陣営と、柴田勝家と信孝、一益の二勢力に派閥が分かれてしまうのです。
こうして後の信孝の死、そして柴田勝家の滅亡につながっていくわけでございます。
こう見ると信孝は、非常に野心が強いように見えます。それは、自分の生まれに対するコンプレックスがあったかもしれないですね。自分の方が能力があるのに、母親の身分が低いという理由だけで序列では下につけられて納得いかない。そんなところはもしかしたら、信長よりも秀吉に似ていたのかもしれません。
さて、記事はここまで。
ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。 それでは、さらばじゃ!
(追記:参考文献など)今回の参考文献は、『清須会議 秀吉天下取りへの調略戦 (シリーズ・実像に迫る17)』(柴裕之著、戎光祥出版)『清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか? (朝日新書) 』(渡邊 大門著、朝日新聞出版)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。
<第30回『新たなる覇者』猿の織田家簒奪!柴田勝家滅亡!家康は秀吉を支持していた?>は、(J-CAST)テレビウォッチのオリジナル記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください。
(おことわり)ミスター武士道「いざ!大河ドラマ」は、今回で終了します。今までありがとうございました。
++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2023年春には登録者数が15万人を超えた。22年12月には『家康日記』(エクシア出版)を公刊。