諏方大社を燃やされ...
<勝頼の最期>
3月3日に勝頼は、新府城を放棄して岩殿城へ退避しようとしましたが、岩殿城の小山田信茂は寝返ろうとしていたので勝頼を城内に入れようとしませんでした。
5日には信忠軍により諏方大社は燃やされます。自身が継ぐかもしれなかった諏方大社を燃やされたというのは、勝頼にとってとてつもないショックだったと思います。信長が手を緩めることなく武田の根切りを進めているのがわかりますね...。
6日には滝川一益と森長可によって甲府は占拠され、10日には岩殿城の小山田信茂が本格的に謀反を開始、勝頼と共に逃げていた家臣たちもほとんどが逃亡してしまいます。
ついに11日に天目山(トクサ山)で勝頼は、家族や数少ない側近たちと共に自害を果たしてしまうのでした...。
今年の『どうする家康』では暗愚として描かれなかったとはいえ、勝頼の最期はとても悲しいものでしたね。
勝頼の子・武田信勝は享年16、そして勝頼と最期まで共にいた北条夫人は享年19。北条の娘であり生き残る道もあったのに勝頼と最期を迎えたのも、勝頼が武士として立派に役目を全うしていたからなのでしょうね...。
さて、今回の記事はここまで。
ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!
(追記:参考文献など)今回の参考文献は、『武田勝頼 (中世から近世へ)』(丸島和洋著、平凡社)『徳川家康と武田勝頼』(平山優著、幻冬舎新書)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。
<第26回『ぶらり富士遊覧』家康が化けました>は、(J-CAST)テレビウォッチのオリジナル記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください。
++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2023年春には登録者数が15万人を超えた。22年12月には『家康日記』(エクシア出版)を公刊。