後継者の死が続く
<武田子孫のその後>
勝頼が亡くなった後、武田の名跡を引き継いだのは穴山梅雪です。それは梅雪の妻が信玄の娘・見性院であり、さらに梅雪自身も武田の縁者だったからでした。
しかし名跡を引き継いだものの、本能寺の変・天正壬午の乱の混乱の中、伊賀越えにて家康と別行動したことで命運が尽きたのか、殺害もしくは自害してしまいます。
梅雪が亡くなったことで、今度は息子の勝千代(信治)が引き継ぎましたが天然痘で若くして死んでしまい、急ぎ見性院が家康の子・万千代(信吉)を養子にしてさらに名跡を引き継ぎましたが、1603年に21歳で没してしまいました。
ここまで死が続くと、なんとも不吉ですね...
信長の残党狩りを生き延びた武田の縁者もいました。
武田家末弟・信清は、上杉景勝の妻となっていた姉・菊姫を頼って上杉家臣となり武田の復姓も叶うことになります。
また、若い頃に盲目になり出家していた海野信親は自害してしまいましたが、その息子・信道によって血が絶えることにはなりませんでした。
令和の今もどちらの子孫もいらっしゃるようです。
本流ではなくとも武田家の血が続いていることは、歴史オタクとしてもうれしいですね!
さて、今回の記事はここまで。
ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!
(追記:参考文献など)今回の参考文献は、『武田三代 信虎・信玄・勝頼の史実に迫る』(平山優著、PHP新書)『武田氏滅亡』(平山優著、角川新書)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。
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++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2023年春には登録者数が15万人を超えた。22年12月には『家康日記』(エクシア出版)を公刊。