「どうする家康」マメ知識
武田家滅亡その後 現代まで子孫が続いた背景
<歴史好きYouTuberの視点>

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   NHK大河ドラマ「どうする家康」。次回7月9日(2023年)放送回は「第26回 ぶらり富士遊覧」です。登録者数15万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、今週原稿で最も熱く語りたい「マメ知識」は?(ネタバレあり)

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信長の飴と鞭

   いや~乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。『どうする家康』が何倍も面白くなる歴史知識をご紹介します。今回は、滅亡後の武田家について。

   武田信玄から武田勝頼に引き継がれた後、織田家に滅ぼされてしまいましたが、その後の武田家はどうしていたのか?知らない人も多いのではないでしょうか。

   『どうする家康』の今後にも大きく関わってくるので、詳しく解説していきましょう!

<容赦のない残党狩り>

   勝頼が敗戦した後、織田信長は武田家に対して徹底的に残党狩りをしています。勝頼の弟とも言われている一条信龍の一条家、山県昌景の山県家、馬場信房の馬場家、小山田信茂の小山田家、長坂釣閑斎の長坂家などを容赦なく族滅させました。

   さらに、武田家にゆかりのある寺社の多くも潰しています。特に悲惨だったのが、武田家菩提寺であり信玄の墓所でもあった恵林寺。僧侶までも無惨に殺し、当時の人の記録には『地獄の炎にむせび火と血と刀の責め苦に悲しむ様は目も当てられなかった』とまで書いてあります。

   ここまでしたのも、織田家が武田の旧領を支配しやすくするため。しかし信長は、自分に縋(すが)ってきた者に対しては、侍たちが略奪行為をしないよう禁制も出しています。信長の飴と鞭の使い分けは恐ろしい限りですね...

<本能寺直前の知行割>

   武田旧領は信長によって知行割されましたが、寝返った武田家臣に対しても領地を与えています。1番に寝返った木曾義昌は、本領安堵してもらい、さらには筑摩郡と安曇郡を新しい領地として与えられました。『どうする家康』で登場した穴山梅雪も、無事に本領安堵してもらっています。

   しかし、戦時中の土壇場で裏切ったものには容赦がなく、小山田信茂は処刑されてしまいました。

   どのタイミングで、どれだけ早く寝返ったかが、信長にとっては大事なポイントだったようですね。

   織田軍では、滝川一益には上野国一国丸々だけでなく、佐久郡と小県郡まで与えられました。関東管領のような役目である関東御取次役を任されることになっていたので、どれだけ信長が信頼していたのかがわかりますね。

   河尻秀隆は、中心地でもあった甲斐国と諏方郡を任され、どう統治していくのかが試されました。

   そして、徳川家康には一部を除外した駿河国を任されます。この知行割を見ても、織田家武将の1人として家康が扱われているのがわかってきますね。

   しかし、この知行割の3か月後には、あの本能寺の変・天正壬午の乱が起きてしまいます。

   河尻秀隆などは、甲斐国を治めていたこともあり真っ先に殺されてしまいました。

   こうして、大混乱に見舞われた武田旧領は後に家康がかっさらっていくことになるのでした。

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