若くして...
〈於愛の退場は...〉
そして、於愛は天正17(1589)年に駿河城で死去したと伝えられています。東海道付近に住んでいた瞽女たちが連日お参りに行ったと記録に残っていて、ここからも於愛の慈悲深い性格を感じられます。
於愛は若くして亡くなってしまったようで、御年28~38歳と言われています。関ヶ原の11年前で、天正17年と言えば、小牧・長久手の戦いの後で秀吉と家康が緊張状態にある時期でした。
こんな時期に亡くなってしまうので、広瀬アリスさんも『どうする家康』でなかなかに辛い退場の仕方をしてしまうかもしれません...。
さて、今回の記事はここまで。
ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!
(追記:参考文献など)今回の参考文献は、『徳川秀忠 「凡庸な二代目」の功績』(小和田 哲男著、PHP新書)『徳川秀忠 人物叢書』(山本 博文著、吉川弘文館)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。
<第24回『築山へ集え!』賛否両論。>は、(J-CAST)テレビウォッチのオリジナル記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください。
++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2023年春には登録者数が15万人を超えた。22年12月には『家康日記』(エクシア出版)を公刊。