NHK大河ドラマ「どうする家康」。次回6月18日(2023年)放送回は「第23回 瀬名、覚醒」です。登録者数15万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、今週原稿で最も熱く語りたい「マメ知識」は?(ネタバレあり)
信長のぶっ飛び命名センス
いや~乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。『どうする家康』が何倍も面白くなる歴史知識をご紹介します。さて、今回は五徳姫の擁護を思う存分やっていきたいと思います。
五徳姫は、ドラマ内でも描かれているような高飛車な姫だったのか、深堀していきましょう!
<五徳姫の出自>
五徳姫は永禄2(1559)年に誕生しました。織田家嫡男・信忠や信雄も産んでいる生駒氏の娘が母親で、名付けに関しては『織田家雑録』に記録が残っています。
『五徳の足のごとくなりて五徳と名付け玉ふ』
五徳というのは、火鉢の火の上に鉄瓶などを掛けるのに使う道具です。
五徳のようだとは、どういうことなんでしょうかね...。奇妙丸や茶筅丸と名付ける信長の、ぶっ飛んだネーミングセンスがここでも光っています。
<松平信康室・岡崎殿>
五徳姫は9歳で岡崎へと連れてこられ、やがて信康と結婚をして「岡崎殿」と呼ばれるようになります。
ちなみに信康の名前は、信長の「信」家康の「康」とすることで上下関係を偏諱で表しているのでは?とも言われています。しかし、あやふやだった信長と家康の上下関係がハッキリしたのは元亀4(1573)年、足利義昭を追放してからなので、これは俗説の域を出ていないと思われます。
が、なんといっても勢いを増す織田家当主の娘。五徳姫が少し偉ぶってしまうのも頷けるし、周りも信長の娘だと恐れて対応してしまうのも自然なことなのかもしれません。
ドラマ内でも高飛車なシーンはありましたが、血まみれの男たちを見ておびえてしまっただけで、築山殿に対してムカついたから怒鳴り返したわけではないと私は思っています!
夫婦でもめていたようだが
<信長への手紙の真相>
さて、ここで徳川家最大の黒歴史『信康事件』を引き起こしたとされている『十二箇条の条書』を見ていきましょう。
五徳姫が父・信長に宛てて、信康の暴走や築山殿の「大岡弥四郎事件」について暴露したとされていますが、実はこの手紙が実在したのか少し怪しいと私は考えています。
このような手紙を送ったというのは、織田家側の史料『信長公記』には書かれておらず、家康を称える内容を記している『三河物語』『松平紀』にしか記述してありません。亀姫の子・松平忠明が書いたとされており、比較的中立と思われる『当代記』でも、五徳姫が信長に手紙を送ったとは書いてないんですね。
一次史料である『家忠日記』に、家康が実際に二人のけんかを止めに岡崎へ行ったと記録されているので、何かしらこの夫婦がもめていたのは間違いないと考えられます。しかし、わざわざ信長に手紙を書いてまで直訴したというのは、誇張された噂話なのかもしれません。
「父である信長に夫婦の相談をした」くらいはあったかもしれない。でも、実の夫の首を落としてくれと頼むような、そんなことをする子ではないと...信じたい...ですね......!
<五徳のその後>
『信康事件』が起き、岡崎城を去り安土に帰った五徳姫は、意外なことに再婚したりすることもなく余生を過ごします。
本能寺の変の後は信雄のもとに身を寄せましたが、天正12(1584)年、小牧・長久手の戦いで信雄が負けたことで、今度は人質として京に送られます。そして信雄が改易された後には生駒氏の領地の方へ移り住みました。
関ヶ原の戦いが起こり平和な世の中になると、かつての松平家との縁もあって2000石ほどもらい受け、京都で悠々自適に長生きしたとされています。苛烈な夫婦時代を過ごしたからこそ、余生はのんびりすごしたかったのかもしれないですね。
さて、今回の記事はここまで。
ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!
(追記:参考文献など)今回の参考文献は、『家康の正妻 築山殿』(黒田基樹著、平凡社新書)『現代語訳 信長公記』(中川太古訳、新人物文庫)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。
<第22回『設楽原の戦い』やっぱり武田は無謀な突撃?三段撃ちはあったのか?信康まさかのPTSD......>は、(J-CAST)テレビウォッチのオリジナル記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください。
++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2023年春には登録者数が15万人を超えた。22年12月には『家康日記』(エクシア出版)を公刊。