「どうする家康」マメ知識
鳥居強右衛門の存在はミステリー ストーリーが美しすぎて
<歴史好きYouTuberの視点>

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   NHK大河ドラマ「どうする家康」。次回6月11日(2023年)放送回は「第22回 設楽原の戦い」です。登録者数15万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、今週原稿で最も熱く語りたい「マメ知識」は?(ネタバレあり)

  • 歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」提供
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1日66km走って援軍要請

   いや~乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。『どうする家康』が何倍も面白くなる歴史知識をご紹介します。さて、今回はドラマ内でも大活躍だった鳥居強右衛門について解説していきます。

   一次史料の状況やあまりに完璧なストーリーから、強右衛門の実在は長年疑われておりますが、まずは強右衛門が援助要請に行くまでの流れを追ってみましょう!

<鳥居強右衛門って誰?>

   鳥居強右衛門は、亀姫と婚姻した三河国作手の領主・奥平信昌に仕えていました。

   奥平家は今川・武田・徳川と時期によって違う家に所属していましたが、強右衛門が活躍する長篠の戦いでは徳川方についていました。

   長篠の戦いは熾烈を極め、信長は長篠城に居た信昌に籠城を指示。兵糧米もあり、兵数は200人と少数でしたが鉄砲を200丁も用意してありました。

   しかし、相手方の武田軍は、誇張もあるかも知れませんがなんと2万と通説では伝えられています。

   このままでは開城せざるを得なくなる...その前に家康まで援軍要請へ行こうと名乗りを上げたのが、農民もしくは足軽と身分の低い鳥居強右衛門だったのです。

   強右衛門は辞世の句を詠み終わると、さっそく5月14日の夜から1日かけて66kmを走り切り、無事に家康のもとまで辿り着きました。

   家康に援軍要請を頼み終わるや否や、今度は止める声も聞かず長篠城にトンボ帰りします。この時、強右衛門は敵方の武田に捕まってします。

   しかし強右衛門は捕まった後に、武田に寝返ったふりをしました。武田の「援軍は来ないと嘘を伝えろ」という命令に従うと見せかけ、とっさに「援軍は来る!」と味方にギリギリのところで伝えるという活躍をしたのです。

   これにより長篠城には士気が戻りましたが、代わりに強右衛門は磔(逆磔という説もある)というとても厳しい処刑を受けることになるのでした。

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