5月31日(2023年)、「第60回ギャラクシー賞贈賞式」が行われ、タモリに「60周年記念賞」が贈られた。受賞の感想を聞かれたタモリ。「この式場に来て、ことの重大さに気が付き初めまして、60周年の節目に、私がこういう受賞をして良いのだろうか。過去、ちょっと見ますと、大変な方々が受賞しているようで、本当に今、光栄に思っております。ありがとうございました」と頭を下げた。
期待してイイかな?
また、作品に対してではなく、個人への贈賞であることについて聞かれ、「今回は、『お前よくやったぞ』ということですから、これちょっと、意味が違うんですよね。で、私、この世界に入りまして、ずっと活動したんですけども、ほぼ半分は非難の歴史でした」と語り、会場を笑わせ、さらに、「まず最初に『テレビでサングラスをかけるな』っていうことから始まって、まあでも、酷いことやってました。白いブリーフ一枚でイグアナやったりなんかして。ま、非難は当然だとおもうのですが、ようやくここいらで褒められはじめて、ちょっと気持ち悪く思ってるんですけども」と続けた。
「イグアナのモノマネ」をはじめ、インチキ中国語・インチキ韓国語などを操ったり、「中洲産業大学教授」としてデタラメな講義、それらは「密室芸」と呼ばれ、キワモノ扱いをされていた。「笑っていいとも!」が始まった時はそんなタモリの芸風が、お昼という時間帯にハマらないだろうとの声も多く、早期番組終了が予想されたが、結果は、放送期間31年半という長寿番組となったのはみんなが知るところだ。
本人が「褒められはじめて、ちょっと気持ち悪く思ってるんですけども」と言うように、タモリ自身はスタンスを変える事なく長年やってきたことを、ここにきて急に権威が盛り立てていることに、我々ファンや視聴者も「ちょっと気持ち悪く」思う。そして、「タモさんなら、もっと前に賞をもらっても良かったじゃないか」とも。
選考理由の一文「批評性に富んだ笑い」に対してのコメントを求められると、タモリは「過大評価です。ほんとに過大評価に最近苦しんでおりまして、『批評性』は無いと思います。『批評性』はないけども、なんか僕の心はひねくれてますから、それが出てるだけで」と答えていたが、本人が仰る通り、タモリに「常に何かを批評している」というイメージは無い。かつて、世の中がみんなして「泣いた」「感動した」とはやし立てた「一杯のかけそば」に対して、「おかしい」といちゃもんをつけた際もそうだ。「ひねくれている」からこその意見だった。我々、視聴者は、そんな「世間の論調に流されずに自分の意見を述べ、また、述べれるだけの知識と思考を持ち合わせている」タモリに対して敬意を感じているのだ。(そういえば、上岡龍太郎もタモリと同じように「一杯のかけそば」を「おかしい」と言っていた)。
最後に「今後のラジオ・テレビに期待するところは、どんなところでしょう?」と聞かれたタモリ。「今、地上波っていうのは、ちょっと下り坂になっているみたいで、関係者一同、ご苦労なさってると思うんですけど、まだまだやる余地があるとこが有ると思うので、今後それを見つけてやっていきたいと思っております」と答えていたので、少し安心した。
「笑っていいとも!」が終了した際、いたるところで「タモロス(タモリロス)」が謳われたのを記憶している人も多いはず。よくよく考えれば、毎日、お昼の決まった時間に(夏休みで出演しない週もあったものの)テレビに映るサングラスのおじさんが見られなくなることをあんなに落胆したのもおかしな話だが、それだけ、我々の日常の一部となっていたのも確かだ。
そして、今年、「タモリ倶楽部」の3月31日(深夜枠)の終了を受け、またも我々は「タモロス」を感じた。個人的に「いいとも!」以上に「ロス」を感じたこの出来事は、多くの視聴者も同じだったようで、一部では「『ブラタモリ』の終了も近い」などの悲鳴にも似た噂がまことしやかに囁かれ、「タモリ引退説」なども流れていたのだった。
が、「やっていきたい」と言うからには、タモリ本人ももちろん関わってくれるのだろう。それが、現在、放送されている番組でなのか、新しい番組が始まるのかはわからない。それに「ひねくれもの」のタモリだけに必要以上に求められると「んなこたぁない」と笑ってふっと消えてしまうかもしれない。それでもタモリがテレビからいなくなる日は想像できないし、したくないと、トロフィーを手にはにかむタモリを眺めながら思った。
(くろうさぎ)