NHK大河ドラマ「どうする家康」。次回5月28日(2023年)放送回は「第20回 岡崎クーデター」です。登録者数15万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、今週原稿で最も熱く語りたい「マメ知識」は?(ネタバレあり)
「信長と決裂」の原因は?
いや~乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。 『どうする家康』が何倍も面白くなる歴史知識をご紹介します。 さて、今回は結局ただの無能なのかどうか評価が難しい足利義昭についてです。
近年評価が高まってきている武田勝頼などとは違い、義昭がいまだ無能の烙印を押され続けているのは、信長の傀儡にされていた印象が拭いきれないからでしょう。
信長から義昭に送られた『五箇条条書』も、信長が必ず決定権に関わってくるような内容でした。
しかし、近年では義昭に無理を強いるためだけでなく、守る面もあったのではと考えられています。
一、諸国へ御内書をもって仰せ出さるる仔細有らば、信長に仰せ聞せられ、書状を添え申すべき事、
など、義昭の代わりに信長が矢面に立つための約束事とも捉えることが出来ます。
この条書で2人が仲違いをまだしていないことは、朝倉攻めから始まる『元亀争乱』に信長と共に義昭が参戦していることからもわかります。
三好・本願寺が挙兵した時にも2人は共に戦っています。
信長包囲網とも現在は言われていますが、当時は「義昭を倒すためにまず信長を倒す」という意味が大きかったのかもしれません。
また朝倉との講和の際には、義昭は朝廷の二条晴良を連れて臨んでいます。
信長を見限るならば人物を用意してまで講和を結ぼうとはしていないでしょう。
しかし最後には義昭と信長は決裂してしまいます。
その最初の原因は幕臣たちの信長への反発心でしょう。
戦国大名などとは違い貧乏だった幕臣たちは、寺社領などを押領していました。
これはもちろん罰するべきことなのですが、だからといって代わりの褒賞が与えられない義昭はこれを黙認していました。
この押領をなんとかしようと、信長は自領を幕臣たちに与えるという身を削るような処置まで用意しました。