「武田と内通」説の真偽
一方、姉川の戦い、長島一向一揆、佐和山攻め、岩村城の戦い、そして長篠の戦い、いずれにも信長の援軍として従軍していて、信長のただの言いなりのように感じますが、イエズス会の宣教師は『三千の兵を率いる大身』と記しています。
『どうする家康』では信長に全く大きな顔はしませんが、実際は信長が気を付けねばと考えるほどに大きな存在だった可能性もあるのではないでしょうか。
しかし、信元はのちに信長に誅殺されてしまいます。
なぜなのでしょうか。
これは佐久間信盛の讒言があったからではないか?と史料などから考えられているようです。
信元と信盛が仲が悪く、岩村城の戦いの際には、信元が武田に米を売っていたとか武田と内通しているとかと信長に密告していました。
信長の下へ信元は使者を送りましたが、偶然信長の使者とはち合わせてしまい、そのまま使者同士で飲み始めたあげく口論を始め、最後には酔った勢いで斬り合いを起こしてしまったらしく...
この話は少し信じ難いのですが、とにかくこれで信元は信長に弁明することが出来ず、そのまま岡崎城にて家康のもとで切腹を命じられてしまうのでした。
三方ヶ原の戦いですぐに自領へ帰ってしまったのも、信長の不信感を煽る結果になったのかもしれません。
それにしても、信元が本当に内通していた可能性はあったのか?ということを考えると...あったのかもしれません。
充分に可能性としては考えられます。
『甲陽軍鑑』に駿河侵攻の時点で信元は武田信玄と懇意にしていたと書いてあり、戦国時代のことですから、いざとなったらの準備はしていたのかもしれませんね...
また『寛政重修諸家譜』には信長があれは冤罪だったとして、信元の弟に刈谷城を継がせたと書いてあったりします。
そして家康に処刑させたのも不思議ですね。
しかしこれは信長の家康へのテストだったのではと私は思いました。
ちゃんと信長の言う通りに伯父を殺せるのか?と、かなり裏切りにあっていた信長は試したかったのかもしれません。
さて、今回の記事はここまで。
ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!
(今回原稿は、解説動画「水野信元の悲惨な末路~」をもとにしています)
(追記:参考文献など)今回の参考文献は、『信長と消えた家臣たち 失脚・粛清・謀反 』(谷口克広著、中央新書)、『新説 家康と三方原合戦 生涯唯一の大敗を読み解く』(平山優著、NHK出版新書)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。
<第18回解説動画は、(J-CAST)テレビウォッチのオリジナル記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください
++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2023年春には登録者数が15万人を超えた。22年12月には『家康日記』(エクシア出版)を公刊。