徳川軍は大損害受ける
とはいえ最終的に、武田軍は大きな損害を被ることなく撤退していきました。
一方で徳川軍は2000人という大損害を受け、主だった家臣の一部も失っています。
夏目広次は家康を逃すために身代わりになり、『どうする家康』でも飲兵衛と言われ親しまれていた本多忠真や鳥居四郎左衛門も討ち取られてしまいました。
織田軍でも平手汎秀が討ち取られ、援軍ですら死線をくぐるような戦いだったことがわかります。
しかし、家康の叔父である水野信元は自分の本領まですぐに撤退をし無事生き延びることが出来ました。
ところがこの撤退の早さが、のちに信長の疑心を生むことになります。
家康自身も討ち取られたとの誤報が広がってしまったほどで、こうしてこの戦いは家康の人生において1番と言っていいほど悲惨なものとして幕を閉じたのでした。
さて、今回の記事はここまで。
ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!
(追記:参考文献など)今回の参考文献は、『新説 家康と三方原合戦 生涯唯一の大敗を読み解く』(平山優著、NHK出版新書)や『戦国の陣形』(乃至政彦著、講談社現代新書)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。
<第16回解説動画は、(J-CAST)テレビウォッチのオリジナル記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください>
++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2023年4月には登録者数が15万人を超えた。22年12月には『家康日記』(エクシア出版)を公刊。