NHK大河ドラマ「どうする家康」。次回4月23日(2023年)放送回は「第15回 姉川でどうする!」です。登録者数約15万の人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、今週原稿で最も熱く語りたい「マメ知識」は?(ネタバレあり)
近年では「正義の人」説も
いや?乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。 『どうする家康』が何倍も面白くなる歴史知識をご紹介します。 さて、今回は明智光秀についてです。
明智光秀像が『麒麟がくる』の時とは大きく変わっていましたね!
『麒麟がくる』で明智光秀を好きになった方は『どうする家康』の明智光秀に残念な気持ちを抱いた方も多いのではないでしょうか?
今回の光秀は特に一筋縄ではいかない人物に見えましたね。
本能寺の変という大事件を起こした光秀は、時代が降るごとに捉えられ方が増えていき様々な説が囁かれました。
それでは、明智光秀像はどう変化したのかについて遡って見ていきましょう!
2020年『麒麟がくる』の光秀は、実直・真面目・一生懸命な面が押し出されており、あまり悪人として扱われてはいませんでした。
斎藤道三から信長と共に世について習い、一緒に「麒麟がくる世」を目指して進んでいきます。
しかし、苦楽を共にしていたはずの信長は、将軍を追放したり比叡山焼き討ちを行ったりと戦を続けます。
光秀は、そんな暴走する信長を止めるために本能寺の変を起こした正義の人でした。
この光秀像は「暴走阻止説」が強く反映されています。
また1973年の大河ドラマ、司馬遼太郎原作の『国盗り物語』では、「怨恨+自己防衛説」が採用されていました。
これは日常的に信長から暴力を受けていた光秀が、佐久間信盛らを容赦なく切り捨てる信長に対して、恐怖や怨みを抱き最後には自分を守るために本能寺の変を起こしたという説です。
「これで...ようやく寝られる...」
このセリフからも、明智光秀が人間としての限界を迎えていただけで天下を狙っていたわけではないということが強調されています。
このように、近年では明智光秀を比較的保守的な人物として取り扱うことが多いようです。
光秀は天下を狙っていたのか?
戦後以前は上記の説とは様相が少し違っています。
高柳光寿は、光秀を「合理主義者+野心家」だったとし、天下への野心があったからこそ邪魔な上司である信長に反旗を翻したのだと論じました。
しかし小泉策太郎や山路愛山は、斎藤道三や武田信玄、さらには豊臣秀吉や徳川家康などを取り上げ、主君殺しを例に出し光秀を悪人とするのであればこの人物たちもまた悪人であるはずだと主張しました。
何故ここまで光秀が悪人だと多くの人から認識されていたかというと、明治時代に『古今善悪見立一覧』なる物が流行ったからだとされています。
これは善人と悪人を分けて人物を紹介する物だったのですが、江戸時代の名残で儒教の影響がまだまだ大きかった明治では、本能寺の変で主君殺しをした光秀はもちろん悪人側として描かれました。
一度そのように印象付ける媒体が流行ると、なかなか印象は変えられないものです。
また、かの有名な徳富蘇峰は、『突発的犯行説』を推しました。
光秀が天下を取るには、強大すぎる織田信長を殺さねばなりません。
そしてその信長を唯一討ち取れるかもしれないチャンスが目の前に現れた、それが本能寺の変だった。
光秀は正義感から信長を倒したのではなく、ただただ魔が差してつい殺してしまっただけだという説です。
江戸時代の書物の影響
しかし、これら説はいずれも江戸時代にガッチリと固められた光秀像に大きく影響を受けています。
光秀がいじめられていたという要素も小瀬甫庵が『太閤記』に盛り込んだのが初めだとされていますし、信長を怨んでいたという要素も江戸時代に書かれた『豊鑑』や『明智軍記』から強く影響されているのです。
さらに江戸時代後期には、正義のために光秀は信長を殺したのだという説で『絵本太閤記』や『絵本太功記』が作られました。
光秀像に関わる大体の説が江戸時代には生まれていたのですね。
戦国時代に近い江戸時代ですから、現代である令和よりは眉唾ものの噂だとしても多少は信ぴょう性があるのかもしれません。
それでは、光秀と同時代に生きていた人たちはどう光秀を見ていたのでしょうか?
同時代に生きた信長家臣の1人・太田牛一は、光秀を悪人だ!としており、また秀吉御伽衆の大村由己も悪人であるとしています。
さらに信長から援助を受けていた宣教師・フロイスも、「裏切りや密会を好む」悪人だとしています。
もちろんこの3人は信長びいきですので、光秀を悪人と見るのはしょうがない事ですね。
それでは『多聞院日記』で有名な興福寺僧侶の英俊はどうなのかと言うと...彼も光秀を悪人としています。
総叩きですね光秀...
同時代の人たちからの印象も、光秀はあくまで悪人寄りなのです。
こうしてみると光秀を悪人として描くのは、歴史学的にはそうおかしいことではないようですね。
『どうする家康』でのあの意地悪そうな光秀は、最新の研究成果を蔑ろにしているわけではない。
最初の頃の自然と流布していた光秀像に、一旦立ち返る良い機会なのかもしれません。
さて、今回の記事はここまで。
ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!
(追記:参考文献など)今回の参考文献は、『戦国武将、虚像と実像』(呉座勇一著、角川新書)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。
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++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2023年1月には登録者数が14万人を超えた。22年12月には『家康日記』(エクシア出版)を公刊。