江戸時代の書物の影響
しかし、これら説はいずれも江戸時代にガッチリと固められた光秀像に大きく影響を受けています。
光秀がいじめられていたという要素も小瀬甫庵が『太閤記』に盛り込んだのが初めだとされていますし、信長を怨んでいたという要素も江戸時代に書かれた『豊鑑』や『明智軍記』から強く影響されているのです。
さらに江戸時代後期には、正義のために光秀は信長を殺したのだという説で『絵本太閤記』や『絵本太功記』が作られました。
光秀像に関わる大体の説が江戸時代には生まれていたのですね。
戦国時代に近い江戸時代ですから、現代である令和よりは眉唾ものの噂だとしても多少は信ぴょう性があるのかもしれません。
それでは、光秀と同時代に生きていた人たちはどう光秀を見ていたのでしょうか?
同時代に生きた信長家臣の1人・太田牛一は、光秀を悪人だ!としており、また秀吉御伽衆の大村由己も悪人であるとしています。
さらに信長から援助を受けていた宣教師・フロイスも、「裏切りや密会を好む」悪人だとしています。
もちろんこの3人は信長びいきですので、光秀を悪人と見るのはしょうがない事ですね。
それでは『多聞院日記』で有名な興福寺僧侶の英俊はどうなのかと言うと...彼も光秀を悪人としています。
総叩きですね光秀...
同時代の人たちからの印象も、光秀はあくまで悪人寄りなのです。
こうしてみると光秀を悪人として描くのは、歴史学的にはそうおかしいことではないようですね。
『どうする家康』でのあの意地悪そうな光秀は、最新の研究成果を蔑ろにしているわけではない。
最初の頃の自然と流布していた光秀像に、一旦立ち返る良い機会なのかもしれません。
さて、今回の記事はここまで。
ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!
(追記:参考文献など)今回の参考文献は、『戦国武将、虚像と実像』(呉座勇一著、角川新書)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。
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++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2023年1月には登録者数が14万人を超えた。22年12月には『家康日記』(エクシア出版)を公刊。