NHK大河ドラマ「どうする家康」。次回4月2日(2023年)放送回は「第13回 家康、都へゆく」です。登録者数14万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、今週原稿で最も熱く語りたい「マメ知識」は?(ネタバレあり)
ガラッと変わっていきそうな「戦国武将としての評価」
いや~乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。
『どうする家康』が何倍も面白くなる歴史知識をご紹介します。
さて、今回は今後さらに評価がガラッと変わっていきそうな今川氏真についてです。
『わしを嘲笑っているくせに...!』 『わしの才は...蹴鞠をすることだけじゃと...』
これらのセリフは、今まで氏真に対して戦国武将としての評価をしてこなかった後世の人間たちにも向けられているようにも感じました。
親父殿の影に隠れてしまっていた氏真。
果たして我々は今川氏真について正当に評価出来ていたのだろうか?という疑問は、近年では少しずつ大きくなってきていましたが、今年の大河でついに正面からぶつけられましたね。
それでは第12回(3月26日放送)以降の氏真の動向を見ていきましょう。
ドラマ内でも言及があったように早川殿(ドラマ内では糸)の実家である北条家の庇護の下に置かれたことで氏真はなんとか懸川城脱出の後も生き延びました。
しかしなぜ、家康と激しく対立していたはずの氏真が籠城戦をしていた懸川城から脱出することが出来たのでしょうか。
一説には、信玄が家康と結んだ密約を破ってくれたおかげだと言われています。
家康は「大井川を境に領地を分配しよう」と信玄と密約をしていたはずでした。
東に大井川、西に天竜川、その間に懸川城がありますが、信玄はその密約をあっさり切り捨てて大井川を渡りました。天竜川を越えればそこは三河の領地です。
これに焦った家康は氏真に和睦を申し込み、なんとか信玄が進む前に懸川城を攻略しました。
これにて1569年、今川家は戦国武将として滅亡してしまいました...が、これで今川家自体が断絶したわけではないのでした。
武田を倒すために...
氏真は、早川殿の実家である北条を目指し相模へ逃げ延びました。
その結果、氏真は北条氏直を養子に迎え今川家の家督を継がせることになり、今川家は北条一門に吸収されました。
なぜここまで今川家は手厚い待遇を受けられたのか。
それは駿河侵攻の大義名分として、今川の名が役に立つと考えられたからです。
しかし、氏康の息子である氏政は越相同盟が上手くいかなかったため、また武田と同盟を結んでしまいます。これでは駿河に帰ることが出来ないと考えたのか、氏真はついに浜松にいる家康のもとに向かいます。
この点から氏真はまだ戦国武将に返り咲こうとすることを諦めていないのでは、と考証出来ますね!
そして、その後に氏真は父親の仇でもある織田信長に信玄討伐を頼みに行きます。
1575年、信長の前で氏真が蹴鞠を披露したことはあまりにも有名ですね。
定説での氏真のイメージは、そんな風に親の仇である織田信長にすら媚びを売る貴族かぶれだと思われて来ましたが、それはあくまで武田を倒すためにやったことだと氏真の動向を冷静に見つめればわかってきます。
氏真が戦国武将に返り咲こうと全く思わないのであれば、そのまま北条に援助してもらっていればすむ話ですからね。
しかも氏真は、1575年の長篠の戦いに後詰とはいえ従軍していたり、上杉氏に信濃を攻めるように書状をわざわざ書いていたことなども判明しています。
そうして氏真は実権はなかったかもしれませんが、家康の家臣として遠江国の牧野城を預けられました。
ただ蹴鞠に逃げただけの2代目ではない
その後、1582年の甲州征伐にも氏真は参加しています。
この時、徳川方が駿河を勝頼からあっさりと取り戻せたため、氏真はまた駿河の地で戦国武将に返り咲くことが出来るかもしれませんでした。
朝比奈や三浦など再仕官を求める側近も氏真には居て、さらに戦国武将への期待は高まるものと思われましたが、結局、氏真は戦国大名には返り咲きませんでした。
それが自ら望んだことなのかどうかはハッキリとした史料が無いためわからないままです...
しかし、氏真はこの後から当時関白であった近衛前久と能見物したりするなど、徳川の保護下で貴族的な動向を見せています。
江戸時代になると、今川家は旗本の中でも特別な家柄である「高家」という扱いを受けました。
こうしてみると、家康が氏真を尊敬していたというのは、ドラマ内だけの話ではない気がしてきますね!
氏真はただ蹴鞠に逃げただけの2代目ではないと、私は今回調べていて感じました。
さて、今回の記事はここまで。
ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!
(追記:参考文献など)今回の参考文献は、『論集 戦国大名今川氏』(戦国史研究会、岩田書院)や『今川義元とその時代 (戦国大名の新研究)』(黒田基樹著、戎光祥出版)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。
<「第12回」解説動画は、(J-CAST)テレビウォッチのオリジナル記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください>
++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2023年1月には登録者数が14万人を超えた。22年12月には『家康日記』(エクシア出版)を公刊。