「どうする家康」マメ知識
今川氏真、まだ「終わった人」じゃない! 返り咲きの野望と「北条へ」後の活動
<歴史好きYouTuberの視点>

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ただ蹴鞠に逃げただけの2代目ではない

   その後、1582年の甲州征伐にも氏真は参加しています。

   この時、徳川方が駿河を勝頼からあっさりと取り戻せたため、氏真はまた駿河の地で戦国武将に返り咲くことが出来るかもしれませんでした。

   朝比奈や三浦など再仕官を求める側近も氏真には居て、さらに戦国武将への期待は高まるものと思われましたが、結局、氏真は戦国大名には返り咲きませんでした。

   それが自ら望んだことなのかどうかはハッキリとした史料が無いためわからないままです...

   しかし、氏真はこの後から当時関白であった近衛前久と能見物したりするなど、徳川の保護下で貴族的な動向を見せています。

   江戸時代になると、今川家は旗本の中でも特別な家柄である「高家」という扱いを受けました。

   こうしてみると、家康が氏真を尊敬していたというのは、ドラマ内だけの話ではない気がしてきますね!

   氏真はただ蹴鞠に逃げただけの2代目ではないと、私は今回調べていて感じました。

   さて、今回の記事はここまで。

   ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!

   (追記:参考文献など)今回の参考文献は、『論集 戦国大名今川氏』(戦国史研究会、岩田書院)や『今川義元とその時代 (戦国大名の新研究)』(黒田基樹著、戎光祥出版)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。

   <「第12回」解説動画は、(J-CAST)テレビウォッチのオリジナル記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください>


++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2023年1月には登録者数が14万人を超えた。22年12月には『家康日記』(エクシア出版)を公刊。

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