NHK大河ドラマ「どうする家康」。次回3月26日(2023年)放送回は「第12回 氏真」です。登録者数14万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、今週原稿で最も熱く語りたい「マメ知識」は?(ネタバレあり)
父は?母は?
いや〜乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。
『どうする家康』が何倍も面白くなる歴史知識をご紹介します。
さて、今回は逆境の中でも最期まで凛と立ち続けたお田鶴の方(椿姫)についてです。
『どうする家康』では瀬名が田鶴は椿が好きだったと回想していましたが、これは家康と築山殿が田鶴を偲んで、椿を100本植えたという椿姫伝承から来ています。
女城主としても名高いそんな田鶴について、実はその存在を証明する決定的な史料が現代でも見つかっていないことを皆様はご存じでしょうか?
お田鶴の方は、明治28年(1895年)に出版された『皇朝金鑑』に『烈女』と書かれるほど世間では勇猛な女性として広く知られていました。
その血筋はというと...両親ともはっきりとわかっておりません。
父は今川家重臣の大原資良とも、また『浜松御在城記』では今川家重臣の松井宗信とも言われており、そして母については今川義元の妹と言われていますが、はっきりとした根拠つまり一次史料は発見されていないのです。
なので『どうする家康』で採用されていた『鵜殿長照の妹』という説も俗説に過ぎないようです。
やはり戦国時代の女性を研究する難しさは群を抜いていると改めて感じさせられますね。