「壮絶な別れ方」になった事件にどうつなげる?
築山殿と信康とが死んでしまう決定的な原因となったのはやはり「信康事件」です。
織田信長の娘で気が強かった五徳姫は信康の正室となるのですが、築山殿と非常に仲が悪く、また成長した信康はとても暴力的でした。
そんな状況に耐えかねた五徳姫が、父親である織田信長のもとへ行き、「大岡弥四郎事件」で築山殿たちが武田に内通していたことを告げてしまったのです。
家康もすぐ信長に弁明の使者として酒井忠次を送りましたが、忠次は信長を前に何も弁明出来ず、引けなくなった家康は織田家との対立を避けるために築山殿と信康を岡崎城から追い出し、約一カ月後にふたりを殺害しました。
戦国時代でも正妻を殺すことはめったになく、このことから築山殿に限っては自害説もありますが、真偽のほどは史料も無くはっきりしないため、わかりません。
どちらにしても駿府で結ばれたふたりは、戦国時代においても屈指の壮絶な別れ方をしたわけです。
「どうする家康」の第10回では、側室のお葉も登場した上で、今回の家康と築山殿は岡崎城でもラブラブなままの脚本で描かれています。
この仲の良いふたりをどう大岡弥四郎事件や信康事件に繋げていくのか、より一層強くしっかり見守っていきたいですね...。
さて、今回の記事はここまで。
ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!
(追記:参考文献など)今回の参考文献は、『家康の正妻 築山殿』(黒田基樹著、平凡社新書)や『青年家康 松平元康の実像』(柴裕之著、角川選書)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。
<解説動画「築山殿(瀬名姫)に関する考察 『築山事件』はドラマでどう描かれるのか? 」は、(J-CAST)テレビウォッチのオリジナル記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください>
++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2023年1月には登録者数が14万人を超えた。22年12月には『家康日記』(エクシア出版)を公刊。