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「どうする家康」マメ知識 そうだったのか!「川中島の戦い」背景 武田信玄、さすがの知略とは
<歴史好きYouTuberの視点>

   NHK大河ドラマ「どうする家康」。次回3月5日(2023年)放送回は「第9回 守るべきもの」です。登録者数14万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、今週原稿で最も熱く語りたい「マメ知識」は?(ネタバレあり)

  • 歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」提供
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『桶狭間の戦い』が起こる頃

   いや~乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。

   『どうする家康』が何倍も面白くなる歴史知識をご紹介します。

   今回は、青年家康にとって最大の強敵、武田信玄(演:阿部寛さん)についての解説です。

   どうする家康の物語の始まり『桶狭間の戦い』が起こる頃、武田晴信(のちに出家して信玄。以降武田信玄で統一)はライバル・長尾景虎(のちに上杉謙信、以降上杉謙信で統一)と激しい戦いを繰り広げていました。

   かの有名な、川中島の戦いです。

   甲斐の武田家信玄は、隣国信濃へ侵攻し、信濃の国衆・村上義清や、信濃守護・小笠原長時を破ります。

   信濃を追われた義清や長時は、越後の上杉謙信を頼りました。

   謙信は義清らのリベンジに力を貸すことを決め、武田信玄との数次にわたる川中島の戦いが始まったのです。

   一方その頃、室町幕府将軍・足利義輝は、阿波国の戦国大名・三好長慶に京を追われ、近江に亡命していました。

   そんな義輝が頼りにしたのもまた、上杉謙信でした。

信玄は停戦の見返りを求める

   義輝は謙信の助力を得るため、武田信玄との戦いを仲裁、二人に戦いをやめるように命じました。

   これに対し信玄は、停戦をする見返りを将軍に求めます。将軍からの命令に対して、このようにふてぶてしい態度を取れるのは、さすが信玄といったところでしょうか。

   信玄は、謙信との停戦の見返りとして、信濃国守護の地位を与えられました。これはもともと信玄が信濃から追い出した小笠原長時のものです。

   こんなことを許せば、やりたい放題じゃないか......と思わずツッコミを入れたくなりますが、それほど足利義輝も切羽詰まっていたのでしょう。二人を和睦させ、謙信に上洛を要請しました。

   ところが、信玄は戦いをやめませんでした。

   話が違う!!と義輝は激怒しますが、信玄はこのように反論しました。

「信濃守護の仕事は、信濃の平和を守ること。信濃国の平和を乱す奴(=謙信)とは戦わないとなぁ!!」(超意訳)

   戦いをやめさせるために与えた信濃守護が、かえって戦う大義名分となってしまったのです。いくらなんでも義輝が可哀そうですが、信玄がこう言い張って戦いを続けたため、謙信の上洛は実現しませんでした。

   それから数年が経った1559年、義輝は再度、上杉謙信へ上洛を要請します。

   大義名分を掲げて戦い続ける信玄に対し、謙信も大義名分が必要と考えたのでしょう。謙信はこの要請に応じて上洛し、義輝から様々な特権が与えられました。謙信は越後国主であることと、関東管領の継承を事実上認められ、信濃の武田信玄、関東の北条氏康を討伐する許可も得ました。

   こうして謙信は、1560年、関東の北条氏を討つべく越山しました。

   桶狭間の戦いが起きた二か月後のことでした。

   今川氏真の記事でも解説しましたが、この頃、関東も大変なことになっていたんですね。

駿河侵攻では、一時的に家康と手を組むが...

   しかし、謙信は堅牢な小田原城をなかなか攻略することができず、また武田信玄が背後を攻撃する動きを見せたことから、越後に帰還。信玄と決着をつけるべく、4度目の川中島の戦いに挑みました。

   この戦いで、両者は数多くの戦死者を出し、痛み分けとなりました。これ以降、信玄と謙信が直接対決することはありませんでした。

   その後、信玄は標的を今川氏真へ変え、駿河侵攻をもくろみます。

   駿河侵攻では、一時的に家康と手を組みます。世渡り上手で戦上手な信玄が、今後、どのように描かれるのか。信玄が敵に回ったとき、家康はどうするのか!?

   今から信玄との戦いが楽しみでなりません。

   さて、今回の記事はここまで。ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!

   (追記:参考文献など)今回の参考文献は、『武田三代 信虎・信玄・勝頼の史実に迫る』(平山優著、PHP新書)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。

   <第8回解説動画は、(J-CAST)テレビウォッチのオリジナル記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください>


++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2022年冬には登録者数が13万人を突破した。22年12月には『家康日記』(エクシア出版)を公刊。