独自の社会を形成
雇用形態は、傭兵に近く、大名は忍びたちが裏切らないように妻子を人質として手元に置いておき、任務が成功すれば報酬を与えていました。
後北条氏に雇われた「風魔小太郎」、上杉氏の「軒猿」、伊達氏の「黒脛巾組(くろはばきぐみ)」などが有名ですね。(それぞれの名称は後世に創作されたものだと考えられていますが、実際にこれらの大名が忍びを使役していたのは事実です)
中でも特殊な集団が、伊賀・甲賀の忍びです。
伊賀と甲賀は、京都に近くありながら、山に囲まれていたために大名の影響を受けづらく、自治都市として独自の社会が形成されていきました。
大名に頼らずに自分たちの力で生活を守るため、伊賀や甲賀の人々は、のちに忍術と呼ばれるような技術を体得していったと言われています。
自衛のために培ってきた伊賀・甲賀の忍術でしたが、やがて世に広まっていきます。
室町時代中頃、近江の大名・六角氏が幕府の追討を受けて甲賀へ逃れた際に、伊賀・甲賀の人々の力を借りてこれを撃退しました。
幕府軍を退けた忍びの技術が評判となり、伊賀・甲賀の忍びブランドが確立され、近隣の戦国大名たちは伊賀・甲賀の忍びを雇うようになったといいます。