「どうする家康」マメ知識 「忍び」と忍者の実態 伊賀・甲賀「ブランド」が確立したきっかけは?
<歴史好きYouTuberの視点>

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   NHK大河ドラマ「どうする家康」。次回2月19日(2023年)放送回は「第7回 わしの家」です。登録者数14万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、今週原稿で最も熱く語りたい「マメ知識」は?(ネタバレあり)

  • 歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」提供
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「らっぱ」「すっぱ」「草」...

   いや~乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。

   どうする家康第5回・6回では、家康(松平元康)の妻子を救出するため、服部半蔵率いる忍者軍団が大活躍しましたね。

   今回は、戦国時代の忍者がどのような活動をしていたのか、解説していきます。

   今では世界中に認知されている忍者(NINJA)ですが、この「忍者」という呼び方は、昭和30年(1955年)ごろから定着したもので、戦国時代には「忍者」とは呼ばれていなかったようです。

   戦国時代の終わり(1603年ごろ)に作られた日葡辞書(日本語をポルトガル語で解説したもの)にはXinobi(シノビ)の項があり、敵城へ忍び込む者として解説されています。

   辞書に書かれているくらいですから、戦国時代には「しのび」という呼称が定着し、その存在も当たり前になっていたことがわかります。

   どうする家康の作中でも半蔵は「忍び」と呼ばれていましたね。(本人は武士と言い張っていましたが)

   ただし、忍びに対する実際の呼称は様々で「らっぱ」「すっぱ」「草」「かまり」など、地方によって異なっていたようです。

   忍びたちは、各地の戦国大名たちに雇われ、主に敵国の情報収集を行います。

   作中でも描かれたように、商人や僧侶などに変装して町に溶け込み任務にあたります。情報を集める際は、こっそり盗み聞きするというよりは、町の有力者たちと仲良くなって、情報を引き出すというやり方が主流だったようです。今でいうスパイ活動に近いですね。なので、忍びになるためにはコミュニケーション能力が必要不可欠だったようです。

   また、戦になれば、城へ忍び込んで、放火や夜討ちを行いました。まさに第6回で描かれた活躍が夜討ちです。

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