「どうする家康」マメ知識 本多正信(松山ケンイチ)は超重要人物? 「今後もチェックすべき」これだけの理由
<歴史好きYouTuberの視点>

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   NHK大河ドラマ「どうする家康」。次回2月12日(2023年)放送回は「第6回 続・瀬名奪還作戦」です。登録者数14万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、今週原稿で最も熱く語りたい「マメ知識」は?(ネタバレあり)

  • 歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」の「どうする家康 」本多正信の解説動画より
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本多忠勝の親戚

   いや~乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。

   今回も大河ドラマの内容に合わせて、歴史的な解説をしていきます。

   どうする家康の第4回『清須でどうする!』(1月29日放送)では、織田家と松平家、そして今川家の張りつめた関係が刻銘に描かれました。

『乱世とは誠に愉快な世であることよ』

   そんな言葉がさらっと出てくる織田家は、戦国時代において松平家よりも一段上手のように感じます。

   そして信長と対等な交渉をしようとするも、なかなか上手くいかない家康の前に、第5、6回で今後話の要となる敵味方が次々と現れます。

   この記事ではついに第5回で登場した知将・本多正信について解説致します。

   2012年の大河ドラマで主人公の平清盛役だった松山ケンイチさんが演じることでもわかるように、家康にとって正信は非常に重要な人物であり天下統一にはなくてはならない存在です。

   正信は1538年生まれ。家康よりも少し年上で、さらに正信の祖父・父親も代々松平家に仕えているという側近中の側近になります。

   本多といえば本多忠勝では?と思った視聴者の方もいると思いますが、本多忠勝は本多正信の親戚です。

   本多一族自体が松平家ととても縁が深いんですね。

一時は離反、出奔するが...

   しかし同じ本多と言っても正信の若いころはよくわかっておりませんが、第5話にして初登場するように、第1話の丸根砦の戦いには参加していなかったようです。

   文献では三河一向一揆に参戦していることは認められますがこの時はなんと一揆側についており、つまりは家康と対立した立場だったようです。

   結局は一揆側が負け、一揆側についた家臣たちの中には家康に謝ったのち許された者もいました。

   が、この正信は謝ることもなくさらには加賀国に出奔しています。

   加賀国には浄土真宗の本拠地である本願寺がありますから、そこを目指して家康から離れたのかもしれません。

   正信は相当に信仰心が強かったがゆえに家康と一旦は袂を分かちたかったのかもしれませんね。

   しかし、なんとその後に正信は家康に直接戻ってくるよう嘆願されています。

   以上のエピソードからも正信の能力が高く、家康に頼りにされていたことがよくわかりますが、そんな正信と家康の関係は『寛政重修諸家譜』でもしっかり記述されています。

『乱には軍謀にあずかり、治には国政を司どり、君臣の間相遇うこと水魚のごとし。
しかんのみならず諷諫をたくみにして御親子の間むつまじく、また上下志を通ぜしむるに至るまで其の功おおいなり。』

   水魚の交わりとは『三国志』の中で劉備が諸葛亮を重用していたことから来た故事成語で、水と魚のような関係ということを表しています。

   続きには、遠回しに悪いところを指摘してくれ、また上司部下の間を取り持ってくれるということが書いてあります。

   こんな部下がいたとはとても羨ましい。

   このように諫言してくれる部下を終生大切にしていたからこそ、家康は天下統一が叶ったのかもしれませんね。

信頼されていた証

   正信は晩年に至るまでも重要なポジションにつき続けています。

   知将としてとても評価されていた上に姉川の戦いにおいては大きな戦力として最前線で働いていたようです。

   文武両道な者は徳川家臣団には多いですが、その中でも特に優れているようにも感じてしまいますね。

   そんな正信は外交官としてとても優れていました。

   関ケ原で逃してしまい今後の脅威になるであろう島津とうまく交渉して血を見ることなく屈服させてしまったり、さらには真田昌幸を高野山へ蟄居させたのもこの正信であります。

   家康にとって危険である人物の処理を任されるほど、正信は信頼されていたようです。

   さらには徳川二代目秀忠の指南役にも任じられています。

   吾妻鏡から二代目育成の重要さを学んでいたはずの家康が息子の育成までも頼るほどとは正信への信頼の大きさは計り知れないですね。

   そんな正信は家康の死後、後を追うようにしてほどなく没しました。

   最期まで美しすぎる忠臣っぷりです。

   その後に正信の息子・正純も徳川幕府の重きをなすこととなります。

   大坂夏の陣では堀をうめたり交渉したりなど、大河『葵~徳川三代~』でも活躍していましたね。

   忠勝・正信・正純。

   このメンバーだけでも本多家は曲者揃いだとよくわかります。 本多家には今後も注目していきたいですね。

   さて、今回の記事はここまで。ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!

(追記:参考文献など)今回の参考文献は、『徳川家康家臣団の辞典』(煎本増夫編集、東京堂出版)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。

<本多正信の動画は、(J-CAST)テレビウォッチのオリジナル記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください>


++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2022年冬には登録者数が13万人を突破した。22年12月には『家康日記』(エクシア出版)を公刊。

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