信頼されていた証
正信は晩年に至るまでも重要なポジションにつき続けています。
知将としてとても評価されていた上に姉川の戦いにおいては大きな戦力として最前線で働いていたようです。
文武両道な者は徳川家臣団には多いですが、その中でも特に優れているようにも感じてしまいますね。
そんな正信は外交官としてとても優れていました。
関ケ原で逃してしまい今後の脅威になるであろう島津とうまく交渉して血を見ることなく屈服させてしまったり、さらには真田昌幸を高野山へ蟄居させたのもこの正信であります。
家康にとって危険である人物の処理を任されるほど、正信は信頼されていたようです。
さらには徳川二代目秀忠の指南役にも任じられています。
吾妻鏡から二代目育成の重要さを学んでいたはずの家康が息子の育成までも頼るほどとは正信への信頼の大きさは計り知れないですね。
そんな正信は家康の死後、後を追うようにしてほどなく没しました。
最期まで美しすぎる忠臣っぷりです。
その後に正信の息子・正純も徳川幕府の重きをなすこととなります。
大坂夏の陣では堀をうめたり交渉したりなど、大河『葵~徳川三代~』でも活躍していましたね。
忠勝・正信・正純。
このメンバーだけでも本多家は曲者揃いだとよくわかります。 本多家には今後も注目していきたいですね。
さて、今回の記事はここまで。ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!
(追記:参考文献など)今回の参考文献は、『徳川家康家臣団の辞典』(煎本増夫編集、東京堂出版)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。
<本多正信の動画は、(J-CAST)テレビウォッチのオリジナル記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください>
++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2022年冬には登録者数が13万人を突破した。22年12月には『家康日記』(エクシア出版)を公刊。