「どうする家康」マメ知識 信長は「桶狭間」前もスゴかった! 若き日の試練とは
<歴史好きYouTuberの視点>

糖の吸収を抑える、腸の環境を整える富士フイルムのサプリ!

   NHK大河ドラマ「どうする家康」。次回1月29日(2023年)放送回は「第4回 清須でどうする!」です。登録者数14万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、今週原稿で最も熱く語りたい「マメ知識」は?(ネタバレあり)

  • 歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」提供
    歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」提供
  • 歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」提供

「織田家」とは?

   いや~乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。

   こちらの連載では、大河ドラマ『どうする家康』が何倍も面白くなる歴史のマメ知識を解説していきますので、何卒よろしくお願い致します。

   さて、今回のテーマは『若き日の信長』について。

   織田信長と言えば、桶狭間の戦いで大大名・今川義元を討ち取り、戦国時代に鮮烈デビューした風雲児というイメージが強いと思います。歴史の教科書などでも、信長の登場は桶狭間の戦い以降であることが多いです。

   しかし、信長が今川義元と対峙するまでにも多くの困難がありました。

   今回は、『どうする家康』にも登場する信長(演:岡田准一さん)が、どのような困難に打ち勝ち、家康にも恐れられるほどの人物になったのかというお話です。

   まず、尾張一国を支配していた織田家ですが、初めから尾張の戦国大名だったわけではありません。

   そもそも、室町時代の尾張国の統治者は、斯波氏と呼ばれる一族でした。

   斯波氏は、室町幕府将軍の足利家の一門で、幕府では管領(かんれい)と呼ばれる幕府のナンバー2的ポジションを務めるほどの名門の家柄です。

信長の祖父と父の実績

   織田というのは、その斯波氏に仕える武家で、頭角を現して守護を補佐する『守護代』となった家柄です。

(※室町時代の守護大名というのは、戦国大名と違い、基本的には室町幕府の本拠である京都に在住し、遠隔でそれぞれの所領に指示を出していました。その京都にいる守護大名から送られてくる指示に従って、実際に現地を統治していたのが、『守護代』です。)

   この守護代の織田家は、のちに分裂し「織田大和守家」「織田伊勢守家」と呼ばれるようになりました。

   そして、「織田大和守家」は主家である斯波氏と一時的に対立し、当主が戦死するというアクシデントに見舞われます。

   当主を失って弱体化した「織田大和守家」を盛り立てようと活動したのが、『織田因幡守家』『織田藤左衛門尉家』『織田弾正忠家』の3つの分家です。(信長公記では「三奉行」と呼ばれる)

   この3つの分家のひとつ、『織田弾正忠家』こそが、織田信長の実家です。

   つまり、守護大名(斯波)>守護代(織田大和守)>分家(織田弾正忠)という序列では下のほうの家柄だったのです。

   ところが、信長の祖父・信貞が経済力を蓄え、信長の父・信秀(演:藤岡弘、さん)がその経済力をもとに軍事力を強化し、勢力を拡大。本家の「織田大和守家」や、守護の斯波氏さえも凌ぐほどの勢力になったのです。

   順調に下剋上を達成した信秀でしたが、いかんせん成り上がりです。

   晩年には病に伏せ、敵対する斎藤家や今川家との戦いに敗北すると、徐々にその信望を失っていきました。

周りは敵だらけ

   信秀は美濃の斎藤道三と和睦し、信長と道三の娘(濃姫)を婚姻させることで、盛り返しを図りますが、病が悪化し、42歳の若さで急死します。

   そんな苦しい状況の中、信長が跡を継ぎました。

   しかし、信長はまだ19歳と若いうえに、うつけと呼ばれるほど素行も悪く、周囲の信頼は得られなかったようで、本家の織田大和守家が、信長に敵対します。

   さらに信長の弟である信勝(信行など別名多数)が、織田弾正忠家の家督を主張して、信長と対立。守護の斯波氏も、最終的には今川義元と通じるなど、信長の周りは敵だらけでした。

   それらを全て平らげた信長は、室町幕府将軍・足利義輝への謁見も果たし、尾張一国の主として認められました。

   こうしてようやく、戦国大名としての織田信長は始まったのです。

   桶狭間の戦いの勝利も、運が良かっただけでなく、多くの困難を乗り越えた信長だからこそ、成しえた偉業だったのかもしれません。

   さて、今回の記事はここまで。ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!

(追記:参考文献など)今回の参考文献は、『織田信長 戦国時代の「正義」を貫く』(柴裕之著、平凡社「中世から近世へ」)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。

<第3回解説動画は、(J-CAST)テレビウォッチのオリジナル記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください>


++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2022年冬には登録者数が13万人を突破した。22年12月には『家康日記』(エクシア出版)を公刊。

姉妹サイト