「どうする家康」マメ知識 信長は「桶狭間」前もスゴかった! 若き日の試練とは
<歴史好きYouTuberの視点>

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周りは敵だらけ

   信秀は美濃の斎藤道三と和睦し、信長と道三の娘(濃姫)を婚姻させることで、盛り返しを図りますが、病が悪化し、42歳の若さで急死します。

   そんな苦しい状況の中、信長が跡を継ぎました。

   しかし、信長はまだ19歳と若いうえに、うつけと呼ばれるほど素行も悪く、周囲の信頼は得られなかったようで、本家の織田大和守家が、信長に敵対します。

   さらに信長の弟である信勝(信行など別名多数)が、織田弾正忠家の家督を主張して、信長と対立。守護の斯波氏も、最終的には今川義元と通じるなど、信長の周りは敵だらけでした。

   それらを全て平らげた信長は、室町幕府将軍・足利義輝への謁見も果たし、尾張一国の主として認められました。

   こうしてようやく、戦国大名としての織田信長は始まったのです。

   桶狭間の戦いの勝利も、運が良かっただけでなく、多くの困難を乗り越えた信長だからこそ、成しえた偉業だったのかもしれません。

   さて、今回の記事はここまで。ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!

(追記:参考文献など)今回の参考文献は、『織田信長 戦国時代の「正義」を貫く』(柴裕之著、平凡社「中世から近世へ」)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。

<第3回解説動画は、(J-CAST)テレビウォッチのオリジナル記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください>


++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2022年冬には登録者数が13万人を突破した。22年12月には『家康日記』(エクシア出版)を公刊。

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