NHK大河ドラマ「どうする家康」。次回1月22日(2023年)放送回は「第3回 三河平定戦」です。登録者数14万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、今週原稿で最も熱く語りたい「マメ知識」は?(ネタバレあり)
「元康」→「家康」に
いや~乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。
こちらの連載では、大河ドラマ『どうする家康』が何倍も面白くなる歴史のマメ知識を解説していきますので、何卒よろしくお願い致します。
さて、今回のテーマは『三河一向一揆』について。
今川家からの独立を果たした家康が、最初に迎えた試練と言ってもいいでしょう。
桶狭間の戦いののち、岡崎へ帰還した松平元康は、それまで敵対関係にあった織田信長と結び、今川家からの独立をおおやけにしました。
さらに今川義元から与えられた「元」の字を捨て、「松平家康」と名乗ります。
これには家康の強い独立の意志が感じ取れますが、ドラマではどう描かれるのでしょうか。
今川家の当主・氏真は、このような状況の中で、別件の対応に追われていました。あの上杉謙信(輝虎)が関東へ侵攻してきており、同盟相手の北条を支援するために兵を動かしていたのです。
桶狭間での義元戦死と、上杉謙信の関東出兵が最悪のタイミングで重なった結果、西三河への対応ができず、家康の独立を許してしまったのです。
「一向一揆」のイメージと政治路線対立
そして、家康は古巣今川との戦争を継続していきますが、なかなか決着がつきません。
今川との戦いは長期化し、家康は3年も戦い続けていました。戦争が長期化したことで、三河国内では反家康の機運が高まります。
一度は家康に降伏していた吉良義昭や、松平家家臣の夏目広次、酒井忠尚などが家康に反発して一揆を起こします。
さらに家康は戦争を継続するために、お寺からも兵糧を徴発しようとしていたらしく、多くのお寺が反対しました。
特に三河では一向宗が盛んだったことから、松平家臣の中でも、門徒である石川氏や本多氏は、一揆方と家康方で一族が割れて争うことになりました。
石川数正(演:松重豊さん)や本多忠勝(演:山田裕貴さん)は、一向宗から浄土宗へ改宗して家康に味方したという伝承もあります。
この反家康の一揆に、一向宗門徒が加わったことから「三河一向一揆」と後世言われますが、宗教的な要素は副次的なものに過ぎませんでした。
「一向一揆」と言えば、信長と争った石山本願寺や、加賀国の100年に渡る支配などが印象に強く、当時から一向宗が徒党を組んで権力者に対抗する、といったイメージがもたれがちですが、同時代には「一向一揆」という言葉は無く、たんに「一揆」や「土一揆」と呼称されていたようです。
特に三河一向一揆は、一向宗と家康による宗教的な対立はなく、家康の政治路線に反発する人たちと、門徒の利害が一致し、三河一国を巻き込んだ争乱になったと考えられます。江戸時代初期に編纂された「三河物語」でも単に「一揆」と書かれています。
最終的に、一揆勢は統率力に欠けていたため、家康に各個撃破され三河は統一されます。しかし、本多正信(演・松山ケンイチさん)など一部の武将は家康の元を去ることになりました。
独立した家康が最初に迎える試練、ドラマではどのように描かれるのか注目ですね!
さて、今回の記事はここまで。ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!
(追記:参考文献など)今回の参考文献は、『青年家康 松平元康の実像』(柴裕之著、角川選書)や『今川義元とその時代(戦国大名の新研究)』(黒田基樹著、戎光祥出版)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。
<第2回解説動画は、(J-CAST)テレビウォッチのオリジナル記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください>
++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2022年冬には登録者数が13万人を突破した。22年12月には『家康日記』(エクシア出版)を公刊。