「どうする家康」マメ知識 「徳川」名乗る前の「松平」家、どういう一族だったのか
<歴史好きYouTuberの視点>

   NHK大河ドラマ「どうする家康」の1月8日(2023年)放送回は「第1回 どうする桶狭間」でした。登録者数13万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、「第1回」の解説動画で最も熱く語りたかった「ツボ」は?

   動画内容などを踏まえ再解説します。次回放送をより楽しむための準備・復習にもお役立てください。(ネタバレあり)

  • 歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」提供
    歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」提供
  • 歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」提供

まだ「徳川家康」ではなく...

   いや~乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。

   大河ドラマ『どうする家康』がついに放送を開始しました!

   こちらの連載では、『どうする家康』が何倍も面白くなる歴史のマメ知識を解説していきますので、何卒よろしくお願い致します。

   さて、今回のテーマは『松平家』について。

   『どうする家康』の主人公はみなさんご存じ徳川家康ですが...ドラマ登場時は「徳川」ではなく「松平」を名乗っていましたよね。

   家康はのちに徳川を名乗り、それが江戸時代将軍家と御三家だけに許されたスペシャルな名字となるわけですが、はじめは「松平」姓を名乗っていました。

   江戸時代にも、将軍家&御三家以外の家康の一族は「松平」を用いていて、「会津松平氏」や「越前松平氏」などが有名です。

   家康が「徳川」に名字を変更したのにもちゃんとした理由があるのですが、今回は、そもそも「松平家」がどういう家柄だったのかをお話しします。

   時は遡ること800年前、家康の出身地である「三河国」は、鎌倉時代、足利義氏という御家人が支配していました。

「謎の浪人」から...

   この義氏は、後の室町幕府将軍足利一族の御先祖様であり、鎌倉幕府執権・北条一族と深いかかわりがあったことから、東海道の要地・三河の守護を鎌倉幕府より任されていました。

   室町時代には、「細川」や「一色」「吉良」といった三河国内の地名をとった足利の分家も現れます。

   そんな足利氏と縁も深い三河国で台頭したのが松平(現在の愛知県豊田市)の土豪・松平信重です。

   この信重は武将ではありません。どうやら土木工事などで財を成した裕福な土豪だったようです。東海道の要地で人の流れも多いですから、街道を整備したりする土木業も潤ったのでしょう。

   そして、この信重の婿養子となった人物、「松平親氏」こそが武士としての松平家の始まりと言われています。

   親氏は出自不明の謎の浪人でしたが、信重に気に入られて婿になりました。ある史料によると、どこからともなく現れた親氏が、信重の催す連歌会に参加してその教養を認められたと言います。ちなみに親氏は新田源氏の末裔であるという説もありますが、真偽のほどは不明です。

   松平家を継いだ親氏は、さらに勢力を拡大し、親氏の子・信光の代には室町幕府の官僚、伊勢氏の被官として名実ともに武士となりました。

   その後、応仁の乱をはじめとしたさまざまな戦乱を乗り越え、家康の祖父・清康の頃には岡崎を中心に、強い影響力を持つ国衆として西三河に君臨するようになります。

   清康は、自身の正統性をアピールするために、『世良田』という名字を名乗っていました。これは新田源氏の流れをくむ一族の名字です。中世の人たちは家柄をとても重視します。家柄がその人をどれくらい信用できるかの尺度になるからです。

今川義元を頼るまでの経緯は?

   現代で言うなら、有名な大企業に勤めている人ほどローンの審査が通りやすいようなものでしょうか。所属しているコミュニティの知名度は大事なのです。

   私みたいなYouTuberはまったく信用されないですからね。(笑)

   実際に松平家の始祖・親氏が、新田氏の人間だったかはわかりません。しかし、少なくとも清康ら松平一族の人間は、自分たちが新田源氏であると自負していて、周りにもそうアピールしていたのです。

   清康は1535年、突如部下に裏切られ、25歳の若さでこの世を去ります。

   予想外のアクシデントで当主を失った松平家の家臣たちは、清康の遺児・千松丸(広忠・家康の父)を保護しながら、なんとか家を守り続けました。

   しかし、当主を失った松平家は、叔父・信定の敵対や、家臣たちの反発などによって弱体化し、やがて今川義元を頼るようになりました。

   これが、松平元康が今川家のお世話になるまでのざっくりとした経緯です。

   松平家がどういう家柄か、おわかりいただけたでしょうか。

   この後、義元が桶狭間の戦いで命を落とし、独立の道を歩むことになった松平元康に、「徳川」を名乗る必要が出てくるのですが......この松平元康の徳川改姓については、また別の機会に詳しくお話します!

   さて、今回の記事はここまで。ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!

   (また、年初原稿でも紹介しましたが、2022年12月上旬には、私ミスター武士道が執筆した『家康日記』(エクシア出版)が公刊されました。家康の生涯について、さまざまな出来事があった当時の年齢を踏まえながら、「家康のモノローグ」として現代の日記風にまとめてみました。歴史上の超大物である家康をより身近に感じてもらえると嬉しいです。興味がある方はぜひ!)

   (追記:参考文献など)今回の参考文献は、『青年家康 松平元康の実像』(柴裕之著、角川選書)や『今川義元とその時代(戦国大名の新研究)』(黒田基樹著、戎光祥出版)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。

   <第1回解説動画は、(J-CAST)テレビウォッチのオリジナル記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください>

   ++ミスター武士道プロフィール

   1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。

   一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASHI」を開設。2022年冬には登録者数が13万人を突破。22年12月には『家康日記』(エクシア出版)を公刊した。

姉妹サイト