今川義元を頼るまでの経緯は?
現代で言うなら、有名な大企業に勤めている人ほどローンの審査が通りやすいようなものでしょうか。所属しているコミュニティの知名度は大事なのです。
私みたいなYouTuberはまったく信用されないですからね。(笑)
実際に松平家の始祖・親氏が、新田氏の人間だったかはわかりません。しかし、少なくとも清康ら松平一族の人間は、自分たちが新田源氏であると自負していて、周りにもそうアピールしていたのです。
清康は1535年、突如部下に裏切られ、25歳の若さでこの世を去ります。
予想外のアクシデントで当主を失った松平家の家臣たちは、清康の遺児・千松丸(広忠・家康の父)を保護しながら、なんとか家を守り続けました。
しかし、当主を失った松平家は、叔父・信定の敵対や、家臣たちの反発などによって弱体化し、やがて今川義元を頼るようになりました。
これが、松平元康が今川家のお世話になるまでのざっくりとした経緯です。
松平家がどういう家柄か、おわかりいただけたでしょうか。
この後、義元が桶狭間の戦いで命を落とし、独立の道を歩むことになった松平元康に、「徳川」を名乗る必要が出てくるのですが......この松平元康の徳川改姓については、また別の機会に詳しくお話します!
さて、今回の記事はここまで。ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!
(また、年初原稿でも紹介しましたが、2022年12月上旬には、私ミスター武士道が執筆した『家康日記』(エクシア出版)が公刊されました。家康の生涯について、さまざまな出来事があった当時の年齢を踏まえながら、「家康のモノローグ」として現代の日記風にまとめてみました。歴史上の超大物である家康をより身近に感じてもらえると嬉しいです。興味がある方はぜひ!)
(追記:参考文献など)今回の参考文献は、『青年家康 松平元康の実像』(柴裕之著、角川選書)や『今川義元とその時代(戦国大名の新研究)』(黒田基樹著、戎光祥出版)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。
<第1回解説動画は、(J-CAST)テレビウォッチのオリジナル記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください>
++ミスター武士道プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASHI」を開設。2022年冬には登録者数が13万人を突破。22年12月には『家康日記』(エクシア出版)を公刊した。