1572年(31歳) どうする!? 三方ヶ原の戦い
家康最大のピンチと言えば、武田信玄に大敗を喫した三方ヶ原の戦いです。
敗走中の家康は、恐怖のあまり脱〇してしまったという話はあまりにも有名です。実際にそんなことがあったかはわかりませんが、そんな話が生まれるくらい家康は窮地に立たされていたのでしょう。
この三方ヶ原の戦い、きっかけは家康がさんざんに信玄を煽って怒らせたことが原因でした。上記の著書『徳川家康~』などによると、信玄は、家康の同盟者である織田信長に家康をわからせるように要求しますが、信長は信長で家康を注意せず、信玄がついにブチギレてこの戦いが始まったのです......人間関係のいざこざから大変な騒動になる。現代でもありそうなことですが、この時家康は何を考えていたのでしょうか。信長や上杉謙信がいれば大丈夫だと思っていたのでしょうか。
結果的には信玄の怒りの前にねじ伏せられてしまいますが、果たしてこの三方ヶ原の戦いがどのように描かれるのか、楽しみでなりません。