「鎌倉殿の13人」 もしドラマで描かれていたら印象変わった? 「承久の乱」後、三浦義村・胤義の兄弟対決が持つ意味
<歴史好きYouTuberの視点>

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伊賀の方(のえ)による毒殺説の根拠は?

   承久の乱を乗り越えた義時は、病に倒れて亡くなります。

   ドラマでは伊賀の方(のえ)による毒殺説を採用していました。

   これは、藤原定家(貴族・歌の名家)の日記『明月記』に、尊長というお坊さんの証言があります。

   尊長は後鳥羽上皇に味方して、北条義時を調伏(呪詛)していたため、逮捕されるのですが、その時に「義時の妻が、義時に飲ませた薬で俺を殺せ!」と言ったらしいのです。

   あくまで、公的には義時は病気で死んだことになっており、この尊長の証言も根拠のない妄言であると歴史学者の間では言われていますが、後継者をめぐって伊賀の方と義時が揉めていた可能性は否定できません。

   果たして、罪を多く背負った義時は報いを受けました。最後はつい口が滑ってしまい、頼家殺害が政子に知られてしまうという背筋の凍るような展開が......

   先帝の扱いを巡り、またも手を汚そうとする義時を、政子は薬を与えずに見殺しにしました。

   かつての鎌倉大河『草燃える』では、頼朝の妻としての政子が描かれましたが、鎌倉殿の13人では、義時の姉としての政子が描かれたように思います。

   私利私欲は無かったと言えど、多くの人々を手にかけた義時に、ふさわしい最期だったのではないでしょうか。

   ちなみに、義時が運慶に彫らせた仏像は、禍々しい姿形をしていましたね。

   北条氏が運慶に作らせたと言われる仏像は、現在も伊豆の願成就院に残っていますが、あのような異形の仏像はありません。ドラマオリジナルの仏像ですが、権力者の義時にクリエイター運慶が一矢報いたようで痛快でしたね。

   ついに最終回を迎えた鎌倉殿の13人。冒頭には、『吾妻鏡』を読む徳川家康が登場しましたが、家康は本当に吾妻鏡を愛読していたようです。

   鎌倉幕府の成功と失敗を学び、家康はどんな江戸幕府を作るのか...来年の『どうする家康』も引き続き、解説動画でも当連載でもウォッチしていきますので、よろしくお願いいたします。

   ひとまず、今年一年(当連載は7月末から)お付き合いいただき、ありがとうございました! 来年もどうぞよろしくお願いいたします!

    さて、今回の記事はここまで。ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!

   (追記:参考文献など)今回の参考文献は、『北条政子 母が嘆きは浅からぬことに候』(関幸彦著、ミネルヴァ日本評伝選)、『承久の乱と後鳥羽院』(著者同、吉川弘文館・敗者の日本史)、『日本史研究叢刊44「吾妻鏡」の合戦叙述と<歴史>構築』(藪本勝治、和泉書院)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。

   <最終回解説動画は、(J-CAST)テレビウォッチのオリジナル記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください>


++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2022年冬には登録者数が13万人を突破した。

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