NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の12月11日(2022年)放送回は「第47回 ある朝敵、ある演説」でした。登録者数13万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、「第47回」の解説動画で最も熱く語りたかった「ツボ」は?
動画内容を軸に再解説します。次回放送をより楽しむための準備・復習にもお役立てください。(ネタバレあり)
挙兵した源頼茂の先祖は?
いや~乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。
今回も大河ドラマの内容に合わせて、歴史的な解説をしていきます。
鎌倉殿の13人第47回『ある朝敵、ある演説』では、朝敵として討伐対象とされてしまった主人公・北条義時を救うため、姉の政子が日本史上でも有名なあの演説をする姿が描かれました。
「頼朝様への恩は山よりも高く、海よりも深い...」というあの文が読まれるのかと思いきや、政子が本音を御家人たちに訴える展開は、胸が熱くなりましたね。
政子の演説によって御家人たちは一致団結しましたが、後鳥羽上皇が義時追討を命じるきっかけとなったのは源頼茂の挙兵でした。
源頼茂は、摂津源氏と呼ばれる源氏の一門です。先祖には酒?童子を退治した伝説を持つ源頼光がいます。祖父は、以仁王の挙兵に従った源頼政です。
もともと摂津源氏は京都・畿内を基盤に活動し、朝廷からも信頼されていたことから、実は頼朝よりも家柄は良かったとされています。
しかし、頼朝が天下を取ってからは、他の源氏庶流と同じようにワンランク上の御家人というような扱いを幕府から受けていました。
実際、頼茂がどのような理由で兵を挙げたのかはわかりませんが、本来は名門の生まれだっただけに、ドラマで説明されたとおり、三寅(藤原頼経)の将軍就任に不満があっても不思議はないでしょう。
しかし、援軍も見込めない突然の挙兵に勝算があったとは思えません。頼茂はただ意地を通したいだけだったのでしょうか。頼茂の挙兵に関しては今後の研究で明らかになることを期待したいです。
さて、無謀な挙兵はあっさり鎮圧されました。しかし、頼茂が自害する際に放った火が燃え広がり、大内裏と共に朝廷の宝物が消失してしまいます。
後鳥羽上皇はかなりショックを受けたようで、ドラマでは描かれませんでしたが、この後 1カ月半ほど寝込んでしまっていたようです。
将軍後継問題の発端は、幕府が実朝を守れなかったことにあります。後鳥羽上皇の幕府への不信感が高まる中、大内裏の再建事業に御家人たちが反対したことで、責任者の義時への追討が下されたと考えられています。