萩本欽一と明石家さんまの秘話に感動―「誰も知らない明石家さんま」第8弾を見て

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   私は、11月20日、日本テレビ系で午後7時から3時間放送された「誰も知らない明石家さんま」第8弾を見ました。

   これは、日本テレビの執行役員高橋利之君の企画・演出の作品です。 このバラエティー番組の中心は、若き日のさんまが、伝説の男萩本欽一に挑んだものを、ドラマ化したものでした。

   「欽ちゃんのドンとやってみよう!」(1975年4月から1980年3月までフジテレビ系で放送)をはじめとして、当時、欽ちゃんが出演する番組の世帯視聴率の合計が100%を超していました。その「欽どん」の最終回のゲストに、さんまが呼ばれました。

   欽ちゃんは、これを最後に、レギュラー番組をすべて降りるという発表をしていました。さんまは小さい頃から、欽ちゃんに憧れていて、この日が「初共演」だったといいます。

  • 日本テレビサイトの「誰も知らない明石家さんま」(第8弾)番組ページより
    日本テレビサイトの「誰も知らない明石家さんま」(第8弾)番組ページより
  • 日本テレビサイトの「誰も知らない明石家さんま」(第8弾)番組ページより

運命の日、さんまはボケとツッコミを一人でかまし続けた

   運命の本番の日、設定は、欽ちゃんはレギュラー通りのおやじで、さんまは学生でした。さんまは、欽ちゃんの得意のツッコミを無視して、ボケとツッコミを自分一人でカマシました。

   本番が終わった後、欽ちゃんは一人で「負けた、負けた。でも、こんな気持ちの良い負け方は始めてだ」と、後はさんまにゆずっても良いと思いました。これらは、再現ドラマと、当時の実際のVTR、関係者への取材を交えた形で表現されたのです。

   今、81歳になった欽ちゃんは当時を振り返りさんまに直筆のメッセージを送りました。番組で披露されたメッセージには「さんまちゃんに会いたい。でも、会いたくない。会うと、もっと好きになっちゃうから」と書いてありました。

   日本テレビのこの番組を見ていた私は、大変驚きました。欽ちゃんとさんまの間にそんな関係があったとは、知りませんでした。

   そして、とても感動しました。子供のころからずっと欽ちゃんに憧れていたさんまと、さんまの実力を認めていた2人の関係に暖かいものを、感じたからです。

渡辺弘(わたなべ ひろし)
渡辺 弘(わたなべ ひろし)
1952年生まれ。東京大経済学部卒業。1976年に日本テレビに入社し、制作局CP、ドラマ制作部長として番組づくりの現場で活躍。編成局長、制作局長、取締役報道局長、常務・専務を歴任した。「マジカル頭脳パワー!!」「THE夜もヒッパレ」「「スーパーJOCKEY」「24時間テレビ」などヒット番組をプロデュースした。 現在は「情報経営イノベーション専門職大学」客員教授。映像会社「2501」顧問。
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